博多駅発6時31分のひかりレールスターに乗り、徳山駅に着いたのが7時22分。停車直前に車窓から徳山湾内に立つ白い灯台を発見しました。出発前の下調べで見落としていたようです。徳山駅南口(港側)で自転車をじっくりと組み立て、駅の写真撮影を終えて7時50分に出発しました。最初に目指すのは車窓から発見した港内の灯台です(自宅に帰って調べたところ、徳山下松港地ノ筏灯台という名前でした)。また、その途中で対岸(徳山港の東岸)に古い石造りの灯台を見つけ、後で訪ねることにしました。
親水公園内に立つ「東浜崎の石灯台」です。この灯台は1893年(明治26年)に立立されたもので、当時はランプによって点灯していたそうです。その当時に、このような石灯台が造られたという徳山港の賑わいが偲ばれるようです。徳山港での写真撮影を終えて岩島灯台へ向かいます。徳山市内の道路は「バリアフリー」が徹底され、道路と歩道の段差を減らそうという努力が随所に伺えて、気持ちよく走ることができます。また、歩道も広くて、自転車にとっては快適な環境です。遠石の交差点から県道366号線に入り、福山競艇場入口から大島に向かいます。海岸沿いの道路は交通量も少なく快適に走ることができます。庄の浦を過ぎると道路沿いにパイプラインとプラントが続きます。遠くに岩島灯台が見え始め、粭島(すくもじま)へ架かる小瀬戸橋を渡ると岩島灯台はもうすぐです。
宮ノ鼻をかわした漁港の堤防の間から写した岩島灯台です。朝日をうけてくっきりと見えていましたが、その雰囲気が写真では十分に表せられないのが残念です。ちょっと、長崎県平戸市の広瀬灯台に似た雰囲気です。復路も県道170号線(粭島櫛ヶ浜停車場線)を戻ります。(福山)競艇場入口交差点で県道366号線(徳山下松線)に戻りますが、相変わらず走りやすい道が続きます。恋ヶ浜で国道188号線に合流しましたが、交通量がすごくて息が抜けません。路側帯はそれなりに確保されているのですが、がんがん飛ばしていく車の風圧がすごい!。
間もなく新日鐵光の工場が海岸線に見えてきました。新日鐵光の工場を過ぎて海岸線に砂浜が見えると、沖に浮かぶ大水無瀬島の南端に立つ「大水無瀬島灯台」が見えるはずでした。ところが、大水無瀬島に最も近い海岸線には「ヨットハーバー」が立ち、高い堤防とあわせて、ほとんど灯台を見ることができません。やむなく室積海岸からかすかに見える灯台を撮影したのがこの写真です。でも、室積海岸はきれいな白砂が続き、製鉄所ができるまではこの砂浜がず〜っと長く続いていたんだろうと想像されました。
砂浜が続く海岸近くの道路を走ると、すぐに室積湾を囲む砂州が見えてきます。山口大学付属小中学校の先の駐車場に自転車を停め、徒歩で砂洲のの先端を目指しました。室積湾を包むようにして室積半島の先端からのびる象鼻ヶ岬は、天の橋立になぞらえて周防橋立てとも呼ばれているそうです。目指す室積港灯台はこの砂洲の先端・象鼻ヶ岬に立っているはずでした。もちろん、予定の場所に立ってはいたのですが、残念ながらお化粧直しの最中で、白い布に覆われていました。残念!。このようにお化粧直しの灯台に遭遇したのは3回目です。象鼻ヶ岬先端のお寺まで、道路沿いに小さな石仏が並んでいて、観光バスで乗り付けてきた善男善女の団体がお参りされていました。
室積湾に沿って走る途中で、古い木造の灯台を見かけて撮影しました。「みたら燈籠堂」といって元禄15年(1702年)頃に立てられたようですが、室積港灯台(奥にちっちゃく写っています)とのツーショットは灯台をめぐる年月を思わせます。
国道188号線に戻ってすぐ、道端に「ラーメン灯台」とう店を見つけました。道路際には灯台のモニュメント(写真の奥にもちっちゃく写っていますよ)も立てられて本格的です。室積港灯台を意識して命名されたものか、店主が変わり者なのかは分かりません。昼食を終えたばかりだったので店には立ち寄りませんでしたが、気になるお店でした。写真でもわかるように、道路(国道188号線)は平坦で路側帯も広く、ツーリストにとっても嬉しい限りです。
午後2時頃に中の関に到着しました、ここまで約80kmです。今日は上関泊りの予定なので、これから亀岩灯標や周防筏瀬灯標を撮影に行く時間的余裕は十分です。上関導灯(前灯/後灯)はあとでゆっくりと撮影することにして、まずは上関大橋の北側橋脚の横に立つ室津灯台の撮影です。写真でもわかるように海岸線に立つ室津灯台の灯りの位置は、道路よりちょっと高いだけなので、ついつい灯りを覗き込みたくなってしまいます。
上関大橋を渡って海岸線を走り続けると中ノ浦の海水浴場に着きます。その先は一車線の細い道(舗装道路)になり、そして未舗装道路となって自転車を押し、最後は道端に自転車をデポして歩き始めました。竹やぶを抜けると小石のころがる海岸線に出て、赤い亀岩灯標が見えました。海岸線には潮干狩りをするおじさん、おばさんがいました。歩きにくい小石の海岸を通って、写真中央の島(小山と言うようです)の先端から亀岩灯標を撮影し、さらに周防筏瀬灯標を撮影して引き返しました。
上関漁港から撮影した上関導灯(前灯/後灯)のツーショットで、山頂に東山展望台があります。海岸沿いの道路から導灯へ続く道を探しましたが、見つからなかったので裏の東山展望台へ登り、そこから電線沿いに後灯/前灯へ辿り着きました。展望台から導灯へ下る小道には、蜘蛛の巣がいっぱいで、カメラ用の一脚で蜘蛛の巣を払いながら下ってきました。こういう小道(山道)をたどる場合は、頭と眼を保護するためにヘルメットとサングラスは外さず、またカメラ用の一脚も杖と蜘蛛の巣払い用の棒をかねて、携行するようにしています。この後、室津港近くの旅館にチェックインしました。本日の走行距離は98.8kmでした。室津(室津のてんぷら)や上関(鳩子てんぷら)はてんぷらが名物らしく、牛ちゃんも狙っていたんですが、お店に入った夕方にはすでに売り切れていました。てんぷらをつまみに一杯と思っていたんですが、う〜ん残念!。
2日目は、ちょっとうす曇りで明けました。でも、天気予報は晴れなので、間もなく晴れてくるでしょう。軽食を摂って7時に出発しましたが、関西風のちょっとおしゃべりな女将さんがおにぎり弁当をサービスしてくれました。ありがとうございます!。宿を出て目に付いたのが4階立ての木造立築「四海楼」で、道路沿いに立っています。1879年(明治12年)作られた汽船宿だそうで、山口県内の洋風立築では最古のものだそうです。
上関から柳井へ続く県道72号線(柳井上関線)は急な登り坂からスタートです。上関大橋の近くから約2.5kmの登りが続きますが、その後は港(集落)の間にちょっとしたアップダウンがあるだけで、それほど厳しい坂はありません。交通量も(非常に)少ないので、のんびりと走ることができます。
大津地区に入ると道もひろくなり、千葉崎の沖に舵掛岩灯標が見えてきました。
池ノ浦トンネルを抜けてくだった、海岸沿いの「池の浦道路公園」で下荷内島(灯台)を撮りましたが、池の浦は平家と源氏の古戦場の跡のようです。案内板には「屋島の合戦に破れた平家の軍勢の一部が室津半島にたてこもり、激しく戦ったという古戦場が池の浦にある」と書かれていました。柳井市阿月で平生からの道と合流し交通量も増えてきました。8時40分に国道188号線に入りました、ここまで23km。ところが、柳井市以東の国道188号線はひどい道路でした。交通量が多い割りに道が狭いし、路側帯もぜんぜん整備されていない。特にJR大畠駅の手前は最悪でした。
本土と周防大島を結ぶ大島大橋は全長1,020mで、橋の東側に自転車も走ることができる歩道がついています。でも風の強い日は自転車に乗ったまま橋を渡るのは厳しいかもしれませんね。左の写真は周防大島側から大島大橋を撮ったものです。橋の下は潮の流れが速く、橋脚にぶつかって白く波立っていました。
「大島大橋」の南端の西側沖に立つ大磯灯台です。海岸沿いまで降り、できるだけ近くから写真を撮りたかったのですが、近くに海岸まで降りる道がみつからなかったので断念しました。近くには、釣り船が集まっていましたが、多分良い魚場なんでしょうね。国道437号線で久賀港大崎鼻灯台を目指しましたが、国道188号線に比べれば、はるかに走りやすい道が続きます。
周防大島に入って約13kmで久賀港大崎鼻灯台に到着しました(ほぼ10時)、ここまで約46kmです。写真撮影のあと休憩をかねて早めの昼食にしました。大島大橋を渡り、再び国道188号線を走りますが、相変わらずの悪路が続きます。
岩国南バイパス経由で到着した錦帯橋です。ツーリング山陽道1999で馬場ちゃんと来て以来で、今日もたくさんの観光客、観光バスで賑わっていました。対岸の山頂には岩国城も見えていますが、自転車で行くにはちょっと厳しすぎるので、あっさりと諦めてJR新岩国駅を目指しました。錦川を渡り左岸を上っていきますが、山陽自動車道を潜ればJR新岩国駅はもうすぐです。
13時10分、今回のゴール・JR新岩国駅に到着しました。本日の走行距離は92.9km、この旅の全走行距離は191.7kmでした。記念撮影のあと比較的に閑散とした駅の構内で輪行の準備です。輪行準備を終えても、新幹線の発車時間まで十分に余裕があるので、周囲を眺めても何もありません。洗面所で汗を拭いて軽く着替え、それでも時間があるので早めにホームへあがることにしました。
ホームから見えた村重酒蔵「金冠 黒松」です。見学して試飲するほどの時間はありませんが、日本酒好きのの牛ちゃんとしてはちょっと気になります・・・・。14時02分のこだまに乗車し、帰路につきました。