灯台の写真を撮るっ旅・山陰1

Date:2004/05/08〜09

特牛(こっとい)灯台へ続く道

特牛(こっとい)港・北岸の細い道を港沿いに進むと、右側に階段が見えてきました。
灯台へ繋がる電線を調べ、方向的に一致しているこの階段を登ってみることにしました。
曲がりくねった山道をしばらく歩くと、特牛灯台が見えてきました。
特牛灯台は「2頭身/短足風」のかわいい灯台でした。中央部には特牛地ノ瀬照射灯が付いています。

でも、そろそろ、お化粧直しをしたほうが良いような・・・。
特牛港南防波堤灯台(赤)と特牛港北防波堤灯台?のツーショットです。
>角島大橋は平成12年11月3日に開通しましたが、橋の長さ1,780mは、通行料を払わない一般道路では日本で最長だそうです。 写真の奥が角島です。

なんてきれいな橋なんだろう。さすが?、山口県ですね!。
明治6年8月にR.H.ブラントン氏(英国)により設計起工された角島灯台は、明治9年に日本海側最初の石造り灯台として初点灯し、現在も活躍しています。

建設に携わった3人の英国人が最初に居住し、その後、吏員退息所となった洋館(正面の建物)は灯台記念館として、周辺は灯台公園として整備されています。
灯台記念館にあるR.H.ブラントン氏の座像です。R.H.ブラントン氏は日本の灯台の父と言われる人物です。
角島大橋の途中から撮影した長門伊瀬灯台です。
粟野港防波堤灯台です。防波堤灯台にしては大型だったので、つい写してしまいました。
道に迷いながらたどり着いた油谷港の海岸線です。海岸線まで降りる道が、非常にわかり難くて・・・。

海岸線へ降りて、岸沿いに俵島を目指しましたが、俵島へはコンクリートの飛び石が繋がっています。
あ〜!、コンクリートの飛び石が途中で崩れていて、私のジャンプ力では飛び越えることはできそうにありません。

島へ渡ることは諦め、ここから引き返しました。残念ですが・・・。
(Chankeさんは、靴を脱いで海に入り、俵島へ渡ったそうですが・・・)
川尻岬の先端には「航路標識灯竿」の碑が建っていました。 長門川尻岬灯台が建てられる前は、「航路標識灯竿」が建てられていたようですね。
川尻岬の先端に「本州最西北端」という碑がありましたが、「本州最西北端」などという表現は初耳です。

いろんな表現があるもんですね!。
途中のキャンプ場から長門川尻岬灯台へ細い道が続いています。風雨が強いと辛そうです。

斜面には「つわぶき」がいっぱい生えていましたよ。
急坂の階段を登って着いた長門川尻岬灯台です。

敷地が狭いので写真撮影が大変です。
今岬へ続く細い山道の入口です。

茅刈の集落に車をデポし、この細い山道をどんどん降っていきます。
茅刈の集落から今岬灯台まで、急ぎ足で約20分。「往きはヨイヨイ、帰りは恐い」急坂です。気合を入れて歩いてね。

ここも「つわぶき」の新芽を採取するには最高の環境ですよ。
今岬灯台です。

大型の太陽光発電装置が、民家からの遠さを物語っています。
青海島の通にある「青海島鯨墓」です。

この裏から山越えして、「潮場ノ鼻灯台」や対岸の「穴ノ口灯台」の撮影を狙ったのですが、途中で道が分からなくなり、諦めて引き返しました。

夏場は青草の茂るのが早いので、道路がすぐに分からなくなってしまいます。残念です!。
灯台というより防波堤灯台風のかわいい王子鼻灯台です。青海大橋の近くに建っています。

この日は、近くのペンションに泊りましたが、一晩中風が強くてほとんど眠ることができませんでした。
翌日も強風が吹き荒れていました。

鶴江の町並みを縫う細い道路を走り、車が進めなくなった先の港の先端に鶴江台灯柱が建っていました。
鶴江台灯柱です。灯柱を見たのは初めてですが・・・。

コンクリート製の不恰好な柱の上に、不動緑の灯りが載っていました。

周囲は強風が巻いていて、大変な(危険な)撮影になりました。
越ヶ浜の先端、虎ケ埼に建つ虎ケ埼灯台です。

お食事処「つばきの館」の左奥に建っています。
萩港灯台が建つ狐島の対岸の越ヶ浜から撮影した写真です。

萩港灯台の全容を撮影できるのは、ここだけかもしれません。

狐島は萩女子短大にほぼ占有されていて、悪い虫は守衛さんが玄関でシャットアウトです。
このゲートが萩女子短大の入口です。

休日は守衛さんもお休みでゲートも閉ざされていますが、右側の木陰の道が自転車置き場へ続いています。
帰る途中で「秋芳洞」に立ち寄りました。

メインへ戻る