灯台を撮るっ旅・藍島

Date:2004/4/10

今回は北九州市の北方沖に位置する藍島を訪ねました。小倉から渡船で藍島に渡りますが、いろんな写真が撮れそうだと期待しています。地図をクリックすると拡大表示します。

小倉と馬島/藍島を35分で結ぶ「藍島〜小倉航路」に就航している「こくら丸」です。

「こくら丸」の船上から撮影した「砂津導灯(後灯)」です。この角度からの写真は少ないですよ。

「こくら丸」の船上から撮影した「砂津導灯(前灯)」(その1)です。砂津導灯(前灯)は「コスモ石油 小倉油槽所」の敷地内に立っているので、近づいて撮影することはできません。そのため対岸の防波堤から撮影していましたが、「こくら丸」の船上からだと約半分の距離まで近づいた写真を撮ることができます。

「こくら丸」の船上から撮影した「砂津導灯(前灯)」(その2)です。この距離からだと、導灯の細かいところまではっきりと見ることができます。

「こくら丸」の船上から撮影した「砂津導灯(前灯)」(その2)です。この距離からだと、導灯の細かいところまではっきりと見ることができます。

関門海峡や響灘には、いろんな灯浮標がありますが、黄色っていうのは珍しいですね。灯浮標とは、船に暗しょうや、浅瀬のあるところを示したり、 きめられた安全なコースにみちびくため、 海にうかべられた標識で、水面に浮かんでいる標体と海底におかれた重りはチェーンでつながれているそうです。灯光を発するものを灯浮標といい、光を発しないものを浮標というそうです。

関門海峡や響灘には、いろんな灯浮標がありますが、黄色っていうのは珍しいですね。灯浮標とは、船に暗しょうや、浅瀬のあるところを示したり、 きめられた安全なコースにみちびくため、 海にうかべられた標識で、水面に浮かんでいる標体と海底におかれた重りはチェーンでつながれているそうです。灯光を発するものを灯浮標といい、光を発しないものを浮標というそうです。

「藍島〜小倉航路」で最初に到着する港は馬島港です。

馬島港B防波堤灯台です。スマートなすっきりとした防波堤灯台ですね。

藍島港本村南2防波堤灯台です。標準的な防波堤灯台ですね。

藍島(あいのしま)港に到着しました。小倉北区浅野の北方約12kmの響灘に浮かぶ藍島(あいのしま)。緑に包まれたこの島は、釣り人のメッカで、シーズンともなるとたくさんの人出で賑わいます。江戸時代には小倉藩の遠見番所が設けられており、今でも旗柱台が残っています。

藍島の地図です。比較的に平坦な島で、南北1.5kmの小さな島です。写真右側の集落が藍島港です。

藍島港本村の防波堤から撮った「白州灯台」です。三本の黒帯が雄雄しい印象ですね。

藍島にトンネルがありました。本村地区と大泊地区をつないでいます。

藍島を南北に縦断する細い道路です。軽自動車1台が通れる程度の広さです。

藍島の北端の千畳敷から撮影した「大藻路岩燈標」です。遠浅の海は大藻路岩(おおもじいわ)まで歩いて渡れそうでした。

藍島港寄ノ浦D防波堤灯台です。馬島港B防波堤灯台と同じ形で、スマートなすっきりとした防波堤灯台です。

「藍島遠見番所旗柱台」です。藩政時代の宝永2(1705)年から享保8(1723)年にかけ、密貿易の船がさかんに響灘に出没しました。幕府は密貿易船の追い払いを小倉、長州、福岡の三藩に命じました。小倉藩は門司の葛葉と馬島、そしてここ藍島に遠見番所を建て警備にあたりました。なお、旗柱台は享保6(1721)年4月に建てられたもので、密貿易船を発見すると三階菱の旗を掲げ、中原の境鼻見張所に急報したといわれます(昭和44年5月1日県指定文化財(史跡))。

藍島の中央に立つ水道タンクです。遠賀川から引いた水道水が、若松から(全長26.4q)送られてきているそうです。

「こくら丸」の船上から撮影した「台場鼻灯台」と「竹ノ子島の通航潮流信号所」です。ちょっと、ぼやけてしまいましたが・・・。


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