今回は福岡市の東方に隣接する新宮町の沖に位置する相島(あいのしま)を訪ねてみました。もちろん、ターゲットは筑前相ノ島灯台です。地図をクリックすると拡大表示します。
新宮港と相島を結ぶ新宮町営の渡船「しんぐう」です。玄界灘の海上7.5kmを17分で結びます。
相島港の遠景です。相島は周囲6.4km、面積1.25平方キロメートルで、新宮町の波止場より海上7.3kmの玄界灘に浮かぶ離島で玄海国定公園の要の一つです。相島の歴史は古く、遺跡や遺物から縄文時代までさかのぼるそうですよ。
遠見番所の物見櫓跡の石垣はつた草に覆われていました。
案内板には、「相島の遠見番所跡は玄界灘を眺望できる西端の高山(標高77メートル)に今は当時を偲ぶ石垣の見張り台だけが残っています。江戸時代、福岡藩は、姫島、西浦、相島、大島、岩屋の5か所に遠見番所を設置し、定番2人と足軽3人を置きました。定番と足軽は毎日交代で油断なく沖を見張り、もし異国船が見えたらまず福岡に知らせ、逃亡しようとした船は追跡して長崎奉行に引き渡しました。横には昭和51年に灯台が設置され、沖行く船の航行の安全を見守っています。」と記されていました。
遠見番所跡の横に立つ「筑前相ノ島灯台」です。玄界灘を眺望できる西端の高山(標高77メートル)に立っています。
「太閤潮井の石」です。国内を統一した豊臣秀吉が、文禄元年(1592年)と慶長2年(1597年)に朝鮮半島へ出兵しました。諸国の軍勢が海路名護屋城に向かう途中、相島に立ち寄り海岸の石を一個ずつ持って千手観音像に航海安全と戦勝の祈願をしました。その積み上げられた石の山を「太閤潮井の石」と呼んでいるそうです。
「太閤潮井の石」から「穴観音」までは急な階段を降りていきます。穴観音は、相島の北側海岸の岩穴にある霊験あらたかな観音で、五穀豊穣、家内安全、無病息災、病気平癒、海上安全、豊漁の祈願に多くの方々が参拝しているそうです。この観音の由来は神宮寺に伝わる「阿部嶋窟観音濫觴」に記されているそうです。
海岸線に降りてから穴観音まで岩場の海岸線を行きます。満潮時は特に足元に注意が必要です。
穴観音の入口です。チェーンを伝って降りていきます。下って曲がれば穴観音さまますぐですが、懐中電灯を携帯していくほうが良いでしょうね。
相島港の西端に建つ「筑前相ノ島南防波堤灯台」です。