秋の一日、五家原岳に再チャレンジ

(佐賀・長崎県境、標高は1,057.3m)
Hunting Date:2003/11/16

 まとめ

1.日程;2003/11/16(再チャレンジ)

2.天気;晴れ

3.ルート;JR諫早駅(標高10m)〜肥前長田〜白木峰〜仏辻〜五家原岳山頂(標高1,057.3m)〜白木峰〜山茶花高原〜津ノ浦〜竹崎。
1,000mを超える標高差は結構タフでした。復路の林道も結構アップダウンがありましたが、全体としては下りなので、どうにか走りきれたというところですね。
JR肥前大浦駅から輪行して帰りました。

4.装備
5.その他

 走行ルート

JR諫早駅です。ちょっとレトロっぽい建物でした。

博多駅から2時間輪行し、9時43分にJR諫早駅に到着しましたが、五家原岳は朝靄に隠れ、途中の車窓からその姿を見ることはできませんでした。

早速、走行の準備をして10時前に出発。今回の相棒は走次郎こと26HEツーリングです。天気は晴れ。

しばらく有明海沿いに走り、JR長田駅の近くから県道184号線(諫早多良岳線)に入りました。ここまで約4.5kmです。いよいよ長〜い登り坂の始まりですが、ガス(霧)が濃いため五家原岳はまだ見えません。

道端の畑では、”らっきょ”(ひょっとしたら”玉葱”?)の植付けの真っ最中でした。
このルートは比較的に車が少ないので、のんびりと秋の景色を楽しみながら登っていきます。

今回は、標高差で1,000mを越す登り坂ですが、距離も長いので、山頂まで登り切れるかちょっと不安です。毎年、脚力が落ちていくなか、いつまでパスハントを続けられるのかな?、なんて考える時もあるんですよ。でも、登れるところまで行って、どうしても辛くなったら引き返すこともできるし、なんてことも、最近は考えることができるようになりました。少しは成長したかな。

道端にはみかん畑が増えてきました。

最初はガスに霞んで見えなかった五家原岳山頂のアンテナ群が見え始めました。でも、まだすごく遠くに感じます。

「国立諫早少年自然の家」(13.6km地点)を過ぎると、道路は次第に狭くなっていきます。

辛い登りに挑むたびに思い出すのが、津軽半島の「竜泊ライン」です。140km近く走った後に待ち構えていた、あの登り坂を思うと、どんな坂でも登れそうな気がします。

県道184号線(諫早多良岳線)と「広域基幹林道 多良岳横断線」の交差点です、ここまで14km弱。

前回(2002/02/11)は降雪のため、この先で進むのを断念しました(雪で断念した1回目)。

次第に木陰が増えるものの、きつい登りが増え、蛇行したり大回りして凌ぐようになってきます。でも、鳥の鳴き声や季節季節の自然が励ましてくれるようです。

五家原岳山頂のアンテナ群です。やっと山頂が見えてきました。山頂まで、もう少しです

五家原岳山頂(標高1,057.3m)です。奥には多良岳が見えます。JR諫早駅から19km、長田から14.5kmの登りでした。

休憩なし、押しなしで、どうにか登りきり、ちょっと自信回復です。

自転車を担いで登ってきた私を見る皆さんの目は、いつもの通りです。驚き、呆れる、・・・。でも、気にしない、気にしない!。好きで登ってきたんだもの。

多良岳や五家原岳は、長崎に住んでいた(若い)頃に仲間と登ったことがありますが、まさか自転車で来ることになるとは考えもしませんでした。

山頂で昼食を終え、夜灯鼻灯台を目指して下り始めました。

夜灯鼻灯台です。佐賀県で有明湾に面した唯一の灯台です。

竹崎城址展望台のすぐ先に建っていますが、少し手前の竹崎港に水揚げされる「竹崎かに」は特に有名ですね。

また、焼き牡蠣もこの辺りの名物のようです。

夜燈鼻灯台跡です。案内板には

「竹崎沖は、昔から海の難所と言われ、外海から流れ入る有明海の潮流は竹崎沖で東西に大きく分かれ、佐賀方面と諫早方面へと流れ込み、満潮となり、干潮には逆に佐賀方面からと諫早湾からの潮流が、竹崎沖で合流して外海へ出ます。 この分岐と合流の複雑な浪立ちが、「竹崎沖の三角浪」といわれて、古くから恐れられてきました。その上、鶴の瀬等の浅瀬があった為、海難事故が絶えませんでした。

それまであった燈台は大風等で倒されましたが、明治2年、番左衛門の五世の孫、早田市右衛門が夜燈鼻に再建しました。これが我が国、燈台史上初めての十一面ガラス鏡式洋風燈台で、その当時は最新式のものでした。それまでは、竹崎観世音寺で管理していましたが、昭和29年海上保安庁により、新燈台が建設されて現在に至っています。」

と記されていました。

竹崎城址展望台です。多分コンクリート製です。夜灯鼻灯台を探す良い目印です。