日本の端っこ「岬と灯台」−3

PART-2日本の端っこ「岬と灯台」一覧PART-4

六連島灯台 山口県・六連島灯台(5537。2004年3月27日)

下関の竹崎桟橋から連絡船で20分の六連島に建つ六連島灯台です。同時期に建てられた北九州市の部埼(へさき)燈台とそっくりです。

この灯台は、日米和親条約で決まった兵庫開港(現在の神戸港)に備えて、慶応3(1867)年4月の大阪条約に基づき建設された5つの灯台の一つとして、英国人アルへリン・ブランドンが率いるお雇い外国人により、明治4年11月21日に初点灯されました。

銘板:英語表記の銘板が時代を感じさせます。

風景その2風景その3風景その4

倉良瀬灯台 福岡県・倉良瀬灯台(5810。2004年3月28日)

鐘崎港の沖に浮かぶ地島(じのしま)の北端に位置する倉瀬展望台から写した倉良瀬灯台です。展望台から倉瀬まで約1.2kmというところでしょうか。倉瀬は鳥(鵜?)の糞で真っ白でした。

でも、「倉瀬」に建つ灯台を「倉良瀬灯台」というのは何故でしょうね。

風景その2

白州灯台 福岡県・白州灯台(5544。2004年10月17日)

モモンさんに提供して頂いた白州灯台の写真です。モモンさんはCM撮影のため白州に上陸されたそうです。九州には珍しい白黒のツートンカラーです。 風景その2風景その3

岩松助左衛門翁顕彰櫓:岩松翁が設計した白州灯台を模したもの
白洲は小倉から11.6km、響灘の荒波に洗われる小さな岩礁である。西海一の魔の海と船頭達に恐れられ、付近の暗礁では遭難するもの数知れず多くの人命が失われた。白州灯台の建設功労者・岩松助左衛門は文化元年(1804年)企救郡長浜浦に生まれた。彼は文政4年(1821年)庄屋になり、文久元年(1861年)58歳のとき、小倉藩から海上御用掛難破船支配役を命ぜられた。そして、白洲付近で難破する船の救助に出動し、その惨状に灯台建設の大望を抱いた。文久2年4月5日白洲灯篭台築立願書を藩に提出、彼の熱意で僅か20日で許可が下った。幕末動乱の世情の中、私財を投げ出し、そのうえ莫大な借金を背負い、千辛万苦の日々であったが、「不立腹」を胸に、灯台建設への熱意は消えることなく、苦節8年、明治3年基礎工事を完成させた。その後事業は明治政府に引き継がれ、明治6年9月、洋式灯台として完成した。 しかしながら、岩松翁は前年の明治5年(1872年)4月25日不帰の人となり、自らの情熱を傾けた灯台の点灯を見ることはなかったのである。この塔は、岩松翁が設計した白州灯台を模したものであり、塔の高さ約9m、台の広さ約25平方mとなっている。
大藻路岩灯標 福岡県・大藻路岩(おおもじいわ)灯標(5542。2004年4月10日)

藍島の最北端まで歩き、千畳敷の海岸線から撮影した大藻路岩(おおもじいわ)灯標です。遠浅の海は大藻路岩まで歩いて渡れそうでした。また、海岸の砂浜には、浜大根の花が咲いていました。

風景その2

蓋井島灯台 山口県・蓋井島灯台(0704。2004年4月29日)

蓋井港の西側の山の上に建つ蓋井島灯台は、入港する前からはっきりと見ることができます。灯台に繋がる電線の下に続く急坂をしばらく登ると到着します。 この灯台は、本州最西端に位置する灯台です。

銘板

風景その2:とがった先端が恐い門扉です

風景その3

薩摩ノー瀬(のーせ)灯標 鹿児島県・薩摩ノー瀬灯標(6558。2004年4月30日)

黒の瀬戸の南側に位置するノー瀬(のーせ)に建つ「薩摩ノー瀬灯標」です。黒の瀬戸を挟んで対岸には小平瀬鼻灯台が建っています。

風景その2:小平瀬鼻灯台とのツーショット

鹿児島県・長崎鼻灯台(6562。2004年4月30日)

唐隈を抜けて右折し、薩摩いもが植え付けられた段々畑を下っていくと、灯台のてっぺん(先端)が見えてきました。 灯台の周りには蘇鉄が植えられ、公園風に整備されていましたが、屋根付きのベンチ等があると、もっと嬉しいのにな!。

風景その2風景その3

あっ、銘板の写真を撮るのを忘れちゃった!。

蔵之元平瀬照射灯 鹿児島県・蔵ノ元平瀬照射灯(6560.5。2004年4月30日)

蔵ノ元港の少し手前(南国バスの大崎入口乗り場ばのちょっと先)で左折すると、段々畑の奥に見えてきます。

銘板

風景その2

小平瀬鼻灯台 鹿児島県・小平瀬鼻灯台/小平瀬鼻平瀬照射灯
  (6559/6560。2004年4月30日)

南国バスの「山仁田」バス停付近から身体障害者養護施設「愛和園」方向へ曲がります。道路が行止まりになってもご心配なく。木の陰に小道があります。

建物の上部が「小平瀬鼻灯台」で、その下に「小平瀬鼻平瀬照射灯」が取り付けられていますが、化粧直ししたばかりのようで、きれいな姿を見せています。

銘板

風景その2風景その3

阿久根港倉津埼灯台 鹿児島県・阿久根港倉津埼灯台(6565。2004年4月30日)

倉津漁港から民家の横を通り、電線を頼りに登っていきますが、夏場に青草が生い茂ってしまうと、アクセスルート探しに困りそうな灯台でした。 今回は灯台までのルートが除草されていたので助かりましたが・・・。

銘板

民家の横除草されていた灯台へ続く道

阿久根港倉津埼灯台 鹿児島県・阿久根港倉津埼平瀬照射灯(6566。2004年4月30日)

阿久根港倉津埼平瀬照射灯は、阿久根港倉津埼灯台に併設されていました。

特牛(こっとい)灯台 山口県・特牛(こっとい)灯台/特牛地ノ瀬照射灯
  (0709。2004年5月8日)

二頭身/短足風の可愛らしい灯台です。中央部に特牛地ノ瀬照射灯が付いています。でも、そろそろお化粧直しの時期かな?。

銘板

風景その2風景その3

長門伊瀬灯台 山口県・長門伊瀬灯台(0714。2004年5月8日)

角島大橋の途中から撮影した長門伊瀬灯台です。角島大橋は平成12年11月3日に開通しましたが、橋の長さ1,780mは、通行料を払わない一般道路では日本で最長だそうです。

角島灯台 山口県・角島灯台(0715。2004年5月8日)

明治6年8月にR.H.ブラントン氏(英国)により設計起工された角島灯台は、明治9年に日本海側最初の石造り灯台として、初点灯し現在も活躍しています。建設に携わった3人の英国人が最初に居住し、その後、吏員退息所となった洋館は灯台記念館として、周辺は灯台公園として整備されています。29.6mの角島灯台には、入館することもできますよ。

銘板

風景その2風景その3

油谷港俵島灯台 山口県・油谷港俵島灯台/油谷港俵島平瀬照射灯(0719。2004年5月8日)

道に迷いながらたどり着いた油谷港の海岸線。俵島へ繋がるコンクリートの飛び石は途中で崩れていて、飛び越えることは不可能です。島へ渡ることは諦めて引き返しました。

油谷港俵島の全景

崩れた飛び石

長門川尻岬灯台 山口県・長門川尻岬灯台(0725。2004年5月8日)

この灯台は比較的に楽にたどり着くことができます。川尻岬の先端には「本州最西北端」と表示されていましたが、私は初めて聞きました。こういう表現ってあるんでしょうか?。

銘板

本州最西北端・川尻岬

今岬灯台 山口県・今岬灯台(0738。2004年5月8日)

この灯台にたどり着くのは大変です。茅刈の集落に車をデポし、細い山道をどんどん降っていきます。茅刈の集落から今岬灯台まで、急ぎ足で約20分。「往きはヨイヨイ、帰りは恐い」急坂です。気合を入れて歩いてね。また、「つわぶき」の若芽を採取するには最高の環境ですよ。

拡大写真

銘板

王子鼻灯台 山口県・王子鼻灯台(0743。2004年5月8日)

灯台というより防波堤灯台風のかわいい王子鼻灯台です。青海大橋の近くに建っています。

銘板

鶴江台灯柱 山口県・鶴江台灯柱(0764。2004年5月9日)

鶴江の町並みの細い道路を走り、車が進めなくなった先の、コンクリートの不恰好な柱の上に、不動緑の灯りが載っています。撮影当日、周囲は強風が巻いていて、結構辛い(危険な)撮影になりました。

銘板なし

風景その2風景その3

萩港灯台 山口県・萩港灯台(0767。2004年5月9日)

萩港灯台が建つ狐島の対岸の越ヶ浜から撮影した写真です。狐島は萩女子短大にほぼ占有されていて、悪い虫は守衛さんが玄関でシャットアウトです。

銘板

風景その2風景その3

虎ケ埼灯台 山口県・虎ケ埼灯台(0771。2004年5月9日)

越ヶ浜の先端、虎ケ埼に建つ虎ケ埼灯台。お食事処「つばきの館」を目指して進みます。

銘板

寺島灯台 熊本県・寺島灯台(6432。2004年5月15日)

三角港の船着場から撮影した寺島灯台です。

距離があったので写真写りがいまいちですが、遠くからでも姿が良いのが良く分かります。明治31年に完成した、石築りの灯台です。

三角港荷島灯台 熊本県・三角港荷島灯台(6429。2004年5月15日)

天草五橋の第一橋「天門橋」のすぐ下に位置する三角港荷島(にないしま)灯台です。三角ノ瀬戸は潮の流れが、すごく速いようです。

風景その2:灯台の手前に船着場が見えます。

風景その3:海上保安庁の巡視艇「ひごかぜ」とのツーショット。

三角灯台 熊本県・三角灯台(6428。2004年5月15日)

柴尾山の山腹に建つ「三角灯台」です。揺れる第二昭和丸の船上からシャッターチャンスを逃すまいと、必死で撮影したものです。

陸路のアプローチルートを見つけました。岩谷漁港から大瀬戸の海岸沿いに建つ電柱に沿った道です。最後の急坂は要注意です(2004.06.12)。

銘板

風景その2風景その3

湯島灯台 熊本県・湯島灯台(6375。2004年5月15日)

湯島に上陸し、西の浜の民家の間の細い道を過ぎ、急坂を登って灯台を目指すと、坂を登りきってちょっと下ると、畑の奥に湯島灯台が見えてきました。

風景その2風景その3

銘板

湯島港防波堤灯台 熊本県・湯島港防波堤灯台(6374。2004年5月15日)

赤いきれいな防波堤灯台だったので、特別にアップしました。

住吉灯台 熊本県・住吉灯台(6426。2004年5月15日)

住吉灯台は宇土市住吉の海岸に建つ「住吉神社」の近くにあります。「住吉神社」は海上安全の祈願所として建立されたものであり、また享保9年に寄進された高灯篭が住吉灯台の始まりと言われています。

住吉灯台の周りには大きな樹々が茂っていて、写真撮影が難しいな。

風景その2風景その3

銘板

尉殿埼灯台 長崎県・尉殿埼灯台(6024。2004年5月22日)

比田勝港の入口(南側)に建つ尉殿埼灯台です。10倍ズームで撮影しましたが、これが精一杯です。そのうちに再挑戦するぞ。

西泊湾導灯(前灯) 長崎県・西泊湾導灯(前灯)(6025。2004年5月22日)

上対馬の比田勝港のフェリー乗り場のすぐ裏手の山に建っています。

博多港を23時に出港した九州郵船の「フェリーあがた」は早朝の4時半に比田勝港に着きました。 まだ暗いなか、西泊湾導灯(前灯/後灯)は穏やかな光を放っていました。

風景その2:早朝の西泊湾導灯(前灯)

銘板

西泊湾導灯(後灯) 長崎県・西泊湾導灯(後灯)(6026。2004年5月22日)

西泊湾導灯(前灯/後灯)は砕石場の上に建っていますが、山の横手から細い山道が続いています。

西泊湾導灯が建つ山の上からは、比田勝港が一望できます。

風景その2:前灯と後灯のツーショット

銘板

比田勝港雷埼灯台 長崎県・比田勝港雷埼灯台(6027。2004年5月22日)

比田勝港の入口(北側)に建っていて、ちょっと目では防波堤灯台のようです。

風景その2:ズームアップ

舌埼灯台 長崎県・舌埼灯台(6028。2004年5月22日)

舌埼灯台へ続く道路は、途中のゲートにチェーンが掛かっていて、そこから徒歩で進みます。電線と電話線を頼りにしばらく進むと、途中から電線は別ルートで繋がり、道沿いには電話線だけになります。 でも、ご心配なく!。電話線沿いに進むと、舌埼灯台が建っています (写真で見て、左側から灯台へ繋がっているのが電話線で、右側のが電線です)。

銘板

沖椎根島灯台 長崎県・沖椎根島灯台(6030。2004年5月22日)

豊漁港の防波堤から望遠で撮影した沖椎根島灯台です。

佐須奈港口灯標 長崎県・佐須奈港口灯標(6033。2004年5月22日)

佐須奈港に着くと、湾の入口東側に見えてきます。佐須奈湾東岸の道路を進めば、灯標のすぐ近くまで行くことができます。

対馬棹尾埼灯台 長崎県・対馬棹尾埼灯台(6034。2004年5月22日)

対馬棹尾埼灯台は、棹崎(さおざき)公園の先端に建っていますが、手前の湊からは急坂の連続です。自転車の方は覚悟して挑戦してください。

赤と白のコントラストが素敵な、ちょっとお洒落な灯台です。

棹崎公園には展望台やキャンプ場、対馬野生生物保護センターなどがあり、天気の良い日は韓国を望むことができます。 私は快晴の気候に恵まれ、韓国の山並みを遠望することができました。

風景その2:正面から

銘板1銘板2

長崎県・日本最北西端の碑(2004年5月22日)

対馬棹尾埼灯台のすぐ近くには、日本最北西端の碑が建っています。

上県灯台 長崎県・上県灯台(6035。2004年5月22日)

田浜の海岸線にでる前で右折し、電線を頼りに登って行くと、左手の階段の上に建っていました。

風景その2

銘板

伊奈港志多留防波堤灯台 長崎県・伊奈港志多留防波堤灯台(6035.5。2004年5月22日)

対馬では瀬に建てられた防波堤灯台も多いようです。

鹿見港久原防波灯台 長崎県・鹿見港久原防波灯台(6037.5。2004年5月22日)

鹿見港口の東側に建つ防波堤灯台です。鹿見港の真ん中に突き出た梅ヶ崎の防波堤から撮った一枚です。

風景その2:漁から帰ってきた漁船とのツーショット

塔埼妙瀬照射灯 長崎県・塔埼妙瀬照射灯(6038。2004年5月22日)

鹿見湾の東側を海岸沿いに進み、神社の近くに車をデポし、電線を頼りに急坂を登っていくと、DoCoMoのアンテナが左側にあります。 更に登っていくと右手に塔埼妙瀬照射灯が見えてきます。

銘板

三根港新埼灯台 長崎県・三根港新埼灯台(6039。2004年5月22日)

陸路で三根港新埼灯台に辿り付くためには、干潮時の海岸線を約30分程度歩きます。海上保安庁の方は、ボートでアプローチされるようですね。

風景その2

この海岸線をず〜っと歩いて三根港新埼灯台に辿り付きました

銘板

万関瀬戸東口灯台 長崎県・万関瀬戸東口灯台(6012。2004年5月22日)

万関橋(まんぜききょう)の北側から三浦湾漁港に続く急坂を降ると、万関瀬戸東口灯台に到着します。 万関橋は明治33年に旧日本海軍が艦船を通すために掘った人工の水道に架かる橋で対馬の上島と下島を結ぶ重要な橋だそうです。 見た感じは導灯ですね。

銘板

万関瀬戸西口灯台 長崎県・万関瀬戸西口灯台(6013。2004年5月22日)

万関橋(まんぜききょう)の北側から久須保浦の反対方面へ降り、電線を頼りに進むと、万関瀬戸西口灯台に辿り着けそうです(写真の左側に見える階段)。私は、道なりに進んで辿り着いた「牡蠣」の養殖場から干潮の岩場を海岸沿いに進んで到着しました。 万関瀬戸東口灯台と双子のような灯台です。

風景その2:逆光に建つ万関瀬戸西口灯台

銘板

長崎県・彼瀬埼(あのせさき)灯台(6043。2004年5月22日)

万関瀬戸西口灯台の西側に見えました。

風景その2

長崎県・対馬黒島灯台(6011。2004年5月22日)

万関橋(まんぜききょう)から東側に見える、黒島の山の上に小さく見えました。

郷埼灯台 長崎県・郷埼灯台(6045。2004年5月23日)

4輪駆動の車だけが、灯台近くの海岸線まで辿り付くことができます。それ以外の方は、途中で車をデポし、30〜40分程度坂道を歩くことになります。

対馬は国境の島なので、灯台の近くに砲台跡があるところを多く見かけます。郷埼灯台もその一つで、海岸線の平坦な場所は、今でも陸上自衛隊が管理しているようです。

風景その2:近接撮影。奥は旧日本軍の砲台跡

風景その3:郷埼灯台から見た海岸線

銘板

小茂田港南防波堤灯台 長崎県・小茂田港南防波堤灯台(6046。2004年5月23日)

小茂田港南防波堤では、おじいさんとおばあさんが仲良く魚釣りをしていました。

銘板

久根浜港東防波堤灯台 長崎県・久根浜港東防波堤灯台(6048。2004年5月23日)

対馬の漁港は小さくても、防波堤灯台は立派なものが多いようです。それだけ、波風が厳しいのでしょうね。港内では鯵が群れをなして泳いでいました。美味しそうだったな〜!。

豆酸埼灯台 長崎県・豆酸埼灯台/豆酸埼ミョー瀬照射灯(6001。2004年5月23日)

豆酸漁港から尾崎山公園へ続く細い道を海岸沿いに進むと、正面に豆酸埼灯台が見えてきます。灯台のすぐ近くまで道路が続いているので、訪れる観光客も多いようです。

風景その2:豆酸埼灯台の遠景

銘板

豆酸埼ミヨ一瀬照射灯 長崎県・豆酸埼ミョー瀬標柱(2004年5月23日)

鋭く海に切れ込む豆酸埼の岬の先に、豆酸埼ミョー瀬照射灯が照らす標柱が建っていました。岬が海に沈んでいくところは、北海道のえりも岬を思い起こさせる風景です。

風景その2:えりも岬にも似た岬の風景

耶良埼灯台 長崎県・耶良埼灯台(6004。2004年5月23日)

対馬・厳原港の入口北側に建つ耶良埼灯台です。対馬いずはら病院の玄関左横の小道を降り、すぐ先で車をデポして歩きます。 途中で左の分かれ道へ入りますので間違えないよう注意してください。まっすぐ降りていくと海岸に出てしまいます。

風景その2:厳原港外防波堤灯台と耶良埼灯台のツーショット

風景その3:厳原港東防波堤灯台

耶良埼灯台の銘板

厳原港東防波堤灯台の銘板

烏帽子島灯台 福岡県・烏帽子島灯台(5859。2004年5月23日)

復路のフェリー・ニューつしまの船上から撮影した夕暮れの烏帽子島灯台です。この写真を撮ることが出来たのは、ラッキーでした。

風景その2:建物のズームアップ。手前に階段が見えます

烏帽子島灯台New(2005.10.30)

門司西海岸5号防波堤灯台 福岡県・門司西海岸5号防波堤灯台(5426.3。2004年5月30日)

霧の中に浮かぶ門司西海岸5号防波堤灯台です。

結構良い雰囲気でしょう!。

戸馳島灯台 熊本県・戸馳島灯台(6434。2004年6月12日)

これまでの灯台探訪のなかで、ルート探しが最も大変だったなかのトップクラスに入ります。 灯台へ続く道が発見できずに、道無き山を彷徨い歩き、何回もあきらめようかと考えました。そして、戸馳島灯台の白い屋根が見えたときの喜びは、喩えようもありませんでした。この灯台を訪れるのは、あまりお勧めできませんが、目印は最も海岸線に近い高圧の送電塔で、そこから灯台へ細い山道が続いています。

銘板

風景その2風景その3風景その4風景その5

寺島灯台へ再挑戦 熊本県・寺島灯台(6432。2004年6月12日)

寺島灯台の撮影に対岸の戸馳島から再挑戦しました。 潮が満ちると白亜の灯台がぽつんと海に浮かぶように見えます。

風景その2

肥後兜島灯台 熊本県・肥後兜島灯台(6437。2004年6月12日)

大矢野島と維和島を結ぶ東大維橋付近から撮影した肥後兜島灯台です。灯台の周りには島に上陸して魚釣りを楽しむ太公望の姿もありました。

風景その2

薩摩瀬灯標 熊本県・薩摩瀬灯標(6447。2004年6月12日)

貝場港の防波堤から望遠で撮影した薩摩瀬灯標です。

拡大写真

大牟田港灯台 福岡県・大牟田港灯台(6408。2004年6月20日)

大牟田港灯台というより、大牟田川口北灯台といったほうが、灯台の位置が分かり易いでしょうね。大牟田川口北側は途中まで工場に繋がる道路がありますが、その後は防波堤沿いに歩いて行くことになります。

灯台から見える有明海には、たくさんの灯標が建てられていました。

風景その2

銘板

矢部川口南灯台 福岡県・矢部川口南灯台(6407.5。2004年6月20日)

矢部川口南灯台の周囲は、鉄条網でがっちりとガードされ、近くから撮影することはできませんでした。写真は、鉄条網の隙間から望遠で撮影したものです。
後で馬場ちゃんに聞いたところ、ここには有明海の海底炭鉱の入口があったそうです。

代わりに、三池海上保安部のHPに掲載されている矢部川口南灯台を紹介します。
風景その2

塩塚川口南灯台 福岡県・塩塚川口南灯台(6406.5。2004年6月20日)

塩塚川口南灯台が建つ福岡県山門郡大和町の海岸沿いは、古くから干拓されてきた歴史を持っています。 町の面積の大半は、7世紀ころから始まったといわれる干拓によって形成されているそうです。

塩塚川口南灯台も新しい灯台で、初点は平成8年です。銘板の揮毫が当時の町長というところも、ちょっと珍しいですね。

風景その2

銘板

PART-2日本の端っこ「岬と灯台」一覧PART-4メインへ戻る