江別の文平さん
日本縦断に挑戦中のシニア・サイクリスト・藤石文平さん、応援しています。

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Last Update:2002/06/16

文平さんの旅2000

2000年の山陰ツーリング(U)の途中で、一人のシニア・サイクリストに出会いました。名前は「藤石文平」さん。北海道の江別市在住で、日本縦断(石垣島→宗谷岬)に挑戦中だそうです。今回は山陰の出雲から石川の小松までの区間を走破する予定だそうで、久美浜〜舞鶴の一部は我々も一緒に走りました。これまでに、

(1)石垣島&沖縄
(2)鹿児島・佐多岬(本土最南端)〜福岡
(3)福岡〜出雲
を走破済みで、今回は出雲〜小松(石川県)に挑戦中だそうです。

これからも、本土最北端・宗谷岬を目指して挑戦する文平さんは、日本海側を北上する予定です。赤いジャージの文平さんを見かけたら、応援をお願いします。

文平さんのプロフィール

1.年齢;64歳(2000年当時)。会社を退職された後で日本縦断自転車の旅へ挑戦を開始されたそうです。

すまい;北海道在住で、北海道一周・2,500kmの経験もあるそうです。

2.装備

3.その他


続・文平さんの旅2000(2000/09/23)

文平さんから手紙を頂きましたので、その一部を紹介します。舞鶴でお別れした後も道に迷ったり、車との接触があったりと多難の旅だったようです。

「ツーリング北海道1998、1998U、2000」を見せて頂きましたが、北海道完全走破本当におめでとうございました。

風雨の自然との対決など、サイクリストの挑戦記を、私の2年、26日間、時計廻りの北海道一周・2,500kmとダブらせて読みました。5月2日にお別れしてからは「舞鶴市立赤れんが博物館」を見学しました。明治34年(1901年)に設置された旧海軍舞鶴鎮守府庁の建物を中心に多くの建造物が現存しており、風雪に耐えた赤れんがはエキゾチックな雰囲気をかもしだしていました。

また、世界四大文明の煉瓦をはじめ、各国の煉瓦や煉瓦建造物も紹介されており、見応えのある素晴らしい博物館でした。その後は雨の中を福井県に入り、左手に小浜湾を見ながら国道27号線を走って、上中町の旅館に泊りました。

5月3日は、倉見峠を越えてJR戸村駅近くから「若狭広域農道」に入り、三方五湖を見物しました。

国道27号線に戻り、雨のなか敦賀市を抜け、国道8号線に入ったのですが、10コのトンネルを抜けて武生市に入ってしまいました。

河野村に入る道を探せなかったので、山越えして国道8号線へ戻り、国道305号を通って17時20分にやっと「北前船主の館」に到着しました。しかしながら「北前船主の館」はすでに閉館!。日本海航路の繁栄を今に伝える「北前船主の館・右近家」は是非とも見たかったのですが、時間が遅くて残念でした。

落胆のなかで旅館を探したのですが、数軒で断られて不安になってきた頃、やっと見つけることができました。早速風呂に入り、雨と汗に濡れた下着類を洗って、ハンガーを借りようとしたところ、旅館の方に乾燥機を貸して頂き、本当に助かりました。食事も海の幸がふんだんで、食べきれない程でした。

5月4日は、国道305号線を越前海岸沿いに北上し、三国、東尋坊、芦原、加賀を通ってJR小松駅前の旅館に辿り着きました。途中で三国に入る時に、後方からきた若者が乗る4輪車が後輪のバッグに接触して追い抜いていきました。ハンドルがゆれましたが、どうにか転倒はまぬがれました。初めての経験で、本当にひやっとしました。

5月5日は、小松空港で自転車を解体して輪行バッグに入れ、搭乗手続きを済ませて、10:25発のANA381便で新千歳空港に着き、無事に帰宅しました。

日本縦断サイクリングは5月のゴールデンウィークと12月の正月休みの年2回やっていましたが、12月の北陸は雪なので、次回は来春の5月に小松から秋田まで走る予定にしています。

この続きは2001年のゴールデンウィーク!。江別の文平さん、頑張れ〜!。


文平さんの旅2001

2001年のゴーデンウィーク、文平さん(65歳)は金沢から秋田まで9日間の旅・日本縦断PART-5にチャレンジしました。今年の旅は文平さんのルーツを訪ねる旅でもあります。4月28日(土)から始まった9日間の文平さんの旅、そのレポートです。

「拝啓、花々が一斉に咲く頃となりましたが、その後もお元気でお過ごしのことと存じます。さて、日本列島縦断サイクリング第5段目も、石川県小松市から秋田まで無事に走破し、予定どおり5月6日に帰宅しました。今回のツーリング・レポートをお送りします。」 平成13年5月10日 藤石文平。

4月28日;ANA382で小松空港着、早速自転車を組み立てて出発。金沢のホテルに18時45分にチェックイン。

4月29日;5時に起床し、寺町にある母方の祖父母の墓に参る。その後日本三名園の一つである「兼六園」を見てホテルへ帰る。朝食を済ませて9時30分に出発。ひたすら北陸道を走る。トンネルを3つ抜けて富山県高岡市に到着。ここで従姉妹の家を訪ね叔母の墓に参る。

14時30分に出発。この後蜃気楼の見える町・魚津まで走り民宿に到着。その頃には小雨がパラついていた。

4月30日;5時に起床し、8時過ぎにゆっくりと出発。

朝日町の城山、横尾トンネルは迂回路を通り、新潟県に入ると、すぐに道の駅・市振の関がある。親不知のトンネルは登りが多く、その上に向い風のため、速度は10km以下に落ちる。糸魚川市の姫川に11時に着く予定が、12時20分になってしまい、ここで待ち合わせていた学生時代の親友・I君の姿が見えない。

しばらく待ったが出発。13時頃に国体の旗をつけたジープを対向車線に発見し手を振る。9年振りの再会だが見間違えることはない。I君の車に誘導されて国道253号線を浦川原、大島、松代と走り、十日町の池田宅に着いたのは19時を過ぎていた。本日の走行距離は148kmmを超えていた。I家では奥さんや息子さん一家に迎えられ、名代「由屋」でおいしいソバをご馳走になった。

5月1日;9時に出発。I君がしばらく伴走してくれる予定で、行楽の車が多いため先で待ち合わせるようにしていたが、落ち合えずにうろうろ!。I宅経由で携帯電話に連絡をとる。

小千谷、長岡、三条、燕、吉田、巻、西川を通り、新潟市内の本家に17時過ぎに到着。

ここは父が18歳で北海道に入植する1908年(明治41年)まで住んでいたところだ。風呂に入って待っていると、田植えを終えた親戚の人達が20時頃から集まってきて祝宴が始まった。祝宴は22時過ぎまで続いたが、親戚は現在15軒あるという。

5月2日;6時半に起床、案内されて墓参りをした。

8時半に出発、I君が今日も伴走してくれる。万代橋を渡り新潟市を無事に通過する。国道113号線から国道345号線に変わる。

昼食の待ち合わせ時間になっても池田君が現れない。そのまま走って14時過ぎに瀬波温泉に着くが、池田君は到着していないし電話連絡もない。ずっと待って、17時過ぎにようやく車が到着する。私と合流できないので、事故にでも遭ったのではないかと探していたとのこと。心配をかけてしまった。ホテルは夕食が無いので、買出しに行って二人で最後の宴会をした。

5月3日;4時に起床し、暗いなか池田君を送る。3日間の伴走に感謝して別れる。朝食後、8時過ぎに出発する。

笹川流れは美しい海岸が続いたが、かっての北国街道の難所だけあって、22ものトンネル/隧道があった。鼠が関を越えていよいよ山形県に入る。温海町では芭蕉の句碑を見て、10のトンネル、隧道、シェルターを抜け、今日は酒田で泊まることにした。

5月4日;酒田の日和山公園を見て国道7号線を北上する。山形、秋田の県境の三崎峠には奥の細道の案内板があり、三崎公園は八重桜が満開でした。

象潟海岸を通り、金浦では白瀬記念館を見ました。道の駅・にしめは菜の花の花畑が見事でした。今日は本庄駅前の旅館に泊まることにしました。

5月5日;5時起床、8時前に出発。

岩城では「日本ロケット発祥の地」碑を見て、正午に秋田に着きました。午後は保田城跡を見て、夜は高校時代の友人(秋田大学教授)と46年ぶりの再開しましたが、料亭でのもてなしには時間を忘れてしまいました。

5月6日;5時に起床し、8時半に出発。秋田港のポートタワーのセリオンに上り、100mの高さから360度のパノラマで、秋田の広大な大地と海原を見ました。その後は、秋田城に寄り、秋田空港まで山登りし、そこから輪行です。

飛行機で無事に北海道へ帰ってきました。今回の走行距離は724.77kmでした。それでは、お元気で!。


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