万葉の筑紫野を偲ぶ

Puttering Date:2000/05/20

レポート水城都府楼光明禅寺

 レポート

JR鹿児島本線水城駅を出て早速自転車を組み立て、水城探索のポタリングに出発。駅に着いた時から線路の両側に水城が見えていました。今日は折畳み自転車でのポタリングなので、走行準備もあっという間に完了です。

今回のテーマは「万葉の筑紫野を偲ぶ」。水城都府楼〜大宰府天満宮のポタリングです。特に「水城」は電車や車の中から何回も見てはいたのですが、ゆっくりと見るのは始めての機会でした。

まずは、水城がどこまで西側へ伸びているのかを確認するため、JR鹿児島本線の西側に渡ります。水城の横には自然と出来た小道があり、自転車も通ることが出来ます。この道を辿って走ると、下大利の松屋池、新池まで水城の土塁が続いていました。この先も水城は続いているはずですが、すでに住宅地となっていて、それ以上辿ることはできませんでした。
ここから「四王寺山」の山すそまで水城が造られ、外敵から大宰府を護っていました。いまではJR鹿児島本線、西鉄大牟田線、国道3号線、また九州縦貫自動車道で分断されていますが、延々と続く緑の防塁は往時を偲ばせます。

JR水城駅に戻ると、すぐ南(大野城市と太宰府市の境)の土塁上に「水城跡」の碑が建っています。ここには水城の西門が設置されていたそうです。ここでも土塁横の細い道をたどり南福岡自動車学校の横を抜けると、正面に九州縦貫自動車道や西鉄大牟田線の線路が見え、水城もそこで分断されています。

南福岡自動車学校の横を通って下大利団地を抜け、九州縦貫自動車道に沿って水城の分断点まで戻り、再度土塁の横を走ると、県道112号線(福岡日田線)の水城3丁目交差点に出ます。

水城3丁目交差点の横には小さな公園があり、ここにも「水城跡」の碑が建てられていますが、ここには「東門の礎石」が残っています。

ここでアドバイス!。水城3丁目交差点を水城団地方面へ進み、水城4丁目25番地17号の「××さん」宅の裏手の山に登ると、崖上から写真で撮影した水城の全容を見ることができます。急な坂でもないので是非訊ねてみてください。

国分寺通りを走って関谷交差点に出ると、交差点のすぐ横に太宰府天満宮の一の鳥居が建っており、その根本には江戸時代の道標も残っています。

県道76号線(筑紫野大宰府線)の歩道を西に走ると、左手に都府楼(太宰府政庁跡)が見えてきます。太宰府政庁の正面には南門が建てられていたそうですが、その再現図は奈良の朱雀門にそっくりでした。都府楼(太宰府政庁跡)の廻りを一周し、大宰府学校院跡前を過ぎて戒壇院、観世音寺へと向います。このルートの歩道は広くてきれいなのですが、車道と段差があるため走りづらいのが難点でした。

戒壇院、観世音寺ともに奈良時代に建立されたもので、規模も大きく、多くの国宝も残っているようです。ポタリングの仕上げは太宰府天満宮周辺ですが、太宰府天満宮は有名なので説明は割愛します。光明禅寺には是非寄ってみてください。

時間があったら四王寺山のパスハント。林道・四王寺線は車も少なく、木漏れ日の中をゆっくりと上れる快適なルートです。ルートの途中には岩屋城跡(戦国時代の城跡)や大野城跡(奈良時代の城跡)がありますし、水城跡を遠望することもできます。

****追伸 ****

この日はあいにくと天気が不安定で、林道・四王寺線を走っている途中で雷雨になりました。自転車を少し離れた場所に置き、木陰で雨宿りしていたのですが、次第に雨は強くなり、そのうちに雹混じりの豪雷雨になってしまいました。 30分程して小降りになってきた時に、急いで下山し近くの駅へ逃げ込みましたが、ポタリングでも天気が不安定な日は雨具の上ぐらいは携行すべきだと反省しました。冷たい雨ではなかったのが幸いでした。


 水城(みずき)

奈良時代に博多湾から大宰府に至る途中に大きな城壁のような土塁がありました。これは「水城」と呼ばれています。
もともとは、外国の攻撃から大宰府を防ぐことを目的に造られたもので、通行人は必ずこの水城の東西に設けられた門を通るようになっており、この門が関所の役割を果たしていました。東門は国道3号線が水城を横断する国分に、西門は下大利から吉松に抜ける道が水城を横断する地点(JR水城駅近く)に設けられていたそうです。

水城の博多湾側には幅60m(すごい幅ですね)、深さ4.5m、また大宰府側に幅10mの壕が造られて、水を貯えていたそうです。また、水城の博多湾側は約70度の急斜面で、表面には粘土がびっしり張られ、滑って上がれないような工夫がされていたそうです。

水城の西側には、小水城と呼ばれる上大利水城跡、天神山水城跡、大土居水城跡もあります。

アプローチ
・JR鹿児島本線水城駅で下車してすぐ。

見所
・水城跡
・筑前国分寺跡
・筑前国分尼寺跡


 都府楼(とふろう)&大宰府天満宮

福岡では都府楼という呼び方が一般的ですが、大宰府政庁跡が正式な呼び方のようです。古代の大宰府は政庁を大野山の南麓の中央に置き、平城京のおよそ4分の1ほどの広さを持つ都市だったそうです。

西鉄大牟田線大宰府駅の先を右折すると、大宰府天満宮の参道です。大宰府府天満宮は有名なので紹介は省略しますが、お勧めのスポットがあります。参道を突き当たって右折し直進すると正面に位置する「光明禅寺」です。ここの庭はしっとりとした情緒が素晴らしい!。

この後、時間がある人は四王寺山のパスハントにチャレンジしてみませんか。

見所
・都府楼(太宰府政庁跡)
・太宰府学校院跡宮
・観世音寺
・戒壇院
・太宰府天満宮


 光明禅寺

光明禅寺は鎌倉中期の約700年前に建てられた天満宮結縁寺らしく(意味がわからん)、その庭は一見の価値があります。

見所
・仏光石庭(前庭):七.五.三の十五石で光の字に配石された九州唯一の石庭です。
・一滴海の庭(裏庭):青苔は大陸と島、白砂は水と大海を現し、長汀曲浦の見事な線で画出された枯山水の庭です。

入場料200円でゆっくりと庭を見ることが出来ます。太宰府天満宮の喧騒から離れて、ゆっくりとした時間を持って見ませんか。

ゆっくりと座って(たまには寝転んで)眺めるのがポイント?です。


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