壱岐の島ポタリング
Puttering Date:2003/10/18〜19


 まとめ

1.日程;2003/10/18〜19

2.天気;晴れ

3.ルート
4.装備
5.その他

 ツーリング・レポート

博多港から高速ジェットフォイルで1時間10分、ほとんど揺れもなく快適な船旅でした(ほとんど熟睡状態でしたが・・・)。船内に表示されている速度計には、85kmに近い最高速度が表示されていました。

出発前はジェットフォイルに輪行袋を持ち込めるのか心配でしたが、特に指摘されることもなく乗船でき、また船内には荷物を置くスペースもあって、心配は杞憂に終わりました。でも、結構乗客が多かったので、輪行袋の置き場所には気を使いました。

乗船前に博多港で割安な往復チケットを購入しましたが、それが復路で大きなアドバンテージになることは、まだわかりませんでした。右の写真は、港の上にかかる橋が印象的な郷ノ浦港です。

郷ノ浦港に到着し、他のお客さんに迷惑にならないよう最後に船を降り、自転車を組み立て、さっそく走り始めましたが、記憶通りにすぐに坂が待ち受けていました。

ずっと続くアップダウン(郷ノ浦〜亀石:国道382号線、亀石〜猿岩:県道59号線。平らな場所はほとんどありません)を16km近く走って猿岩にたどり着きました。猿岩と言われるだけあって、自然の造形とは思えないほどの出来栄えです。

猿岩の手前には、第二次世界大戦中に構築され、一度も使われなかった砲台の跡もありましたが、軍艦の主砲を据えつけたものだったそうです。

このあと、湯本から大久保まで県道231号線を走りましたが、このルートもアップダウンの繰り返しでした。

今回の相棒は、走二郎こと26HEツーリング(ばらもんオーダー)です。

勝本港の手前で見つけた「曽良の墓」です。こんなとこに「曽良の墓」があるなんて、びっくりです。

(河合)曽良はご存知のとおり、奥の細道に随行した芭蕉の高弟で、壱岐には宝永7年(1710年)に徳川幕府が派遣した巡見使の一員として到着しましたが、その時にはすでに体調を崩していて、勝本浦で客死(病死)したそうです。

東北ツーリングの途中で「奥の細道」の足跡に初めて出会い、私もいつしかその足跡を辿るようになりました。旅の先々で芭蕉の句碑に出会い、芭蕉が暮らした深川も訪ねてみました。そして、旅を愛する一人として、惹かれていきました。松尾芭蕉もそうだったようですが、旅の辛さを知りながらも、また旅にでる、河合曽良も旅に憑かれた人だったのですね。

お墓にお参りしたあと、一気に勝本港まで下りました。

勝本港の東防波堤から撮影した若宮島です。3つの灯台が写っています。郷ノ浦港からここまで約31kmでした。
若宮島には自衛隊の基地があって、一般の人は入島できないそうですが、本当でしょうか?。

近くのスーパーで買ったおにぎりとプッチンプリンで昼食を摂り、その後で壱岐空港近くの石田地区に民宿を予約しました。
食事と写真撮影を終えて出発しようとすると、前輪がぺしゃんこ、パンクしています。あ〜、くっそ〜!。

いつもは予備のチューブに取り替えますが、パンク個所がすぐに分かったので、その場でチューブを修理。どうも、このタイヤとチューブの組み合わせはパンクが多いようです。

この前のツーリング・ド・北海道では一回もパンクしなかったのに、この自転車では走るたびにパンクする。タイヤ、チューブとリムの相性とかあるのでしょうか?。それとも欠陥品?。

パンク修理を早々に済ませ、勝本港から赤瀬鼻/魚釣崎に向って、海岸沿いの細い道(この道もアップダウン多し)を走りました。

赤瀬鼻の近くに建てられている風力発電の塔です。
離島の電力は、これまで島毎に建てられた火力発電所に頼っていましたが、こういう無公害の発電方法がコスト面でもペイできるようになってくれると、うれしいですね。

こういう風車がもっともっと増えることを期待します。

壱岐の北西端の魚釣崎で灯台を撮影し、そのまま南下して芦辺港を目指しました。

芦辺港の東に位置する「小弐資時」のお墓です。ここには蒙古軍の襲来から必死で日本を守ろうとして、19歳で亡くなった若者が葬られています。博多湾周辺にはいろんな遺跡が残っていますが、そんな時代がありそんな若者が居たことを、ずっと忘れてはいけないと思います。

芦辺港で約50km。

芦辺港を挟んで小弐公園と対峙する丘に建つ「芦辺港灯台」です。芦辺小学校の横を登っていきます。

雲ひとつない快晴だったことが分かるでしょう。 壱岐空港の東に位置する「乙島」は壱岐本島と浅瀬で繋がっていて、干潮の時は歩いて渡ることができるそうです。

壱岐空港の東側には海水浴場が広がり、その一つの大浜海水浴場から乙島灯台へは遊歩道が続いています。

また、壱岐空港の北側には、多くの民宿があります。これは、夏の海水浴客を相手にしたもののようです。

大浜海水浴場から乙島灯台へ続く遊歩道です。左奥に見える島が乙島です。

壱岐には「鯨」や「いるか」との古く長い関わりの歴史があるようです。箱崎には「鯨の墓」がありますし、筒城には「イルカの墓」が建てられていました。

壱岐空港を出発しようとするオリエンタルエアブリッジの「DHC-8」機(定員39名)です。最盛期には、福岡へもYS11が飛んでいたようですが、現在は長崎との間に1日2往復しているだけです。短い離陸距離で、あっという間に飛んでいってしまいました。

今日の宿は壱岐空港のすぐ近くの民宿ですが、夏は海水浴の客で大賑わいするようで、この近辺には民宿がたくさんありました。

今日の走行距離は71km。たいした距離ではありませんが、アップダウンが多かったので、結構足にきています。

2日目は8時過ぎに出発しました。天候は曇り時々晴れ。

今日は海豚埼灯台、郷ノ瀬灯台を撮影した後、郷ノ浦港から「みしまフェリー」で長島へ渡り、壱岐長島灯台を撮影します。郷ノ浦に戻ってきて時間があれば、「岳ノ辻」にでも登ろうかな。

印通寺から海豚鼻まで海岸沿いの道を走りましたが、これがすさまじい坂の繰り返しでした。特に久喜触からの登りと、波瀬からの登りは暴力的とも言えるくらいです。丁度、この日は町内清掃日だったようで、町民総出で道路脇の草刈が行われていました。その横を感謝しつつ激走!。

波瀬(はぜ)から急坂を登り、「住宅前」バス停裏から小道を5分ほど歩いて、海豚埼灯台へ着きました。ここまで約14km。

沖の郷瀬に建てられた「壱岐郷ノ瀬灯台」です。

郷ノ浦港のちょっと奥まった発着所から、11時発の「みしまフェリー」で長島へ渡りました。

「みしまフェリー」は壱岐と原島、長島、大島の3つの島を結んでいるフェリーで、自転車も載せることができます(自転車は200円)。

壱岐には「壱岐牛」を放牧している牧場がいっぱいで、道路にも牛の糞が落ちているところがあります。要注意です。長島、大島にも牛の放牧風景が広がっていました。

放牧されている牛は人恋しいのか、通り過ぎる私のほうをず〜っと見ていました。

長島も大島も急坂が多く、また道路も狭くて、荒れているところが多いので、注意が必要です。壱岐の島の道路がきれいに感じられるほどです。

長島と大島の間に広がる珊瑚瀬戸には、長さ294メートルの「珊瑚大橋」が架けられていました。

この橋からの素晴らしい景色を楽しむため、自転車を降りましたが、期待を裏切らない素晴らしい景色が続いていました。

大島から13時20分初の「みしまフェリー」で壱岐の渡瀬浦に戻り、大瀬の灯台を撮影した後、牧崎の「鬼の足跡」に到着しました。

「鬼の足跡」の写真撮影を終えて駐車場へ帰えると、連日の前輪パンク!。どうも、このタイヤとチューブに組み合わせは相性?が良くないようです。今日も、その場でチューブの修理を行い、パンク修理を完了しました。

またまたアップダウンに耐え、郷の浦港に到着したのが15時40分。2日目の走行距離は約47km、トータル117.8kmの旅でした。

輪行準備を終えてトイレで洗顔し、チケット窓口を覗くと、博多行きのジェットフォイルは「満席、キャンセル待ち」となっていました。ジェットフォイルは高速船なので、走行中は席に座ってシートベルトを締めるようになっていて、座席数259席を越える乗客はキャンセル待ちになるようです。

博多港で往復チケットを買っておいたことに感謝して乗船しましたが、この日は18〜19人のキャンセル待ちまで乗船できたようでした。

復路も波は穏やかで、ほとんど揺れも感じませんでした。高速のジェットフォイルだと主要な観光ポイントを回っても、日帰りできるかもしれませんね。脚力次第かな!。


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