ツーリング北海道2003
礼文島/利尻島〜羽幌〜焼尻島/天売島〜深川
2003/9/19〜9/27

走行ルート(全体)走行ルート(礼文島)走行ルート(利尻島)走行ルート(天売島/焼尻島)
はじめに1日目2日目3日目4日目5日目6日目7日目8日目9日目計画編

はじめに

6回目の北海道ツーリングから帰ってきました。今回もツーリングパートナーの馬場ちゃんとの二人旅で、走行距離424kmの旅となりました。

今年の北海道は冷夏で寒い日が続いたようですが、私たちが走った期間は秋晴れの晴天に恵まれ、さわやかな初秋の北海道を満喫することができました。今回は、利尻島や礼文島、そして焼尻島/天売島に渡る島巡りを中心とした旅でしたが、観光シーズンの喧騒が去った島々は、冬場の眠りにつく直前でした。夏の観光シーズンだけ営業する島々の民宿、売店や食堂も、すでに閉まっているところが多く、計画を変更せざるを得ないときもありました。この時期に旅をする時は注意が必要ですね。

最終的には、当初計画から半日ほど遅れましたが、ずっと天気に恵まれて、ほぼ順調に進むことができ、最高の旅になりました。また、初めて北海道の島々を走ったのも楽しい経験になりました。でも、早寝早起きと朝夕の食事をきちんと摂った結果、出発前よりも太ってしまったようです。右の写真は札幌ビール園で大いに盛り上がる「江別の文平さん(中央)」、そして我々です。スーツ姿の文平さんに最初は戸惑いましたが、久々に会ったにもかかわらず、すご〜く楽しい宴になりました。文平さん、どうもありがとうございました。札幌ビール園でお聞きした「2004年春に台湾一周、そしてアメリカ大陸横断5,000km」が夢という文平さんの野望は果てし無く、あおられっぱなしの我々でした。我々も頑張るぞ〜!。来年は、どこを走ろうかな?。

9/19(金);1日目・移動(飛行機&電車で輪行)、飛行機と電車を乗り継いで着いた札幌市の天気は「曇りほとんど雨」。
昨年の夏に亡くなった友達の墓参りをした後、ホテルへチェックイン。そして、ホテルで出迎えていただいた江別の文平さんとあこがれの「サッポロビール園」で懇親。楽しかった〜!。徒歩で日本一周に挑戦中の熊本の小笠原君とも出会いましたよ。

9/20(土);2日目、札幌←(輪行)→稚内←(フェリー)→礼文島、晴れ。
札幌駅を8時半に出発する「スーパー宗谷1号」で稚内まで輪行。JR稚内駅前で自転車を組み立て、フェリーで礼文島へ渡り、フェリーターミナル近くの香深の民宿に宿泊。走行距離4.5km。穏やかな海でした。

9/21(日);3日目、礼文島ポタリング(観光&灯台撮影)、晴れ。
一日中、礼文島をポタポタして、観光したり、灯台を撮影したり。空気が澄んでいたので、最北端のスコトン岬から、ロシア領・樺太の島影を見ることができて感激!。香深のペンション・う〜に〜に宿泊。走行距離70.9km。。

9/22(月);4日目。礼文島←(フェリー)→利尻島(一周)←(フェリー)→稚内、晴れ。
朝から桃岩展望台まで登った後、フェリーで利尻島へ渡る。礼文島は晴れていたのに、なんと利尻島では小雨(お天気雨)が降っているのにびっくり!。利尻島を時計廻りに一周して観光と灯台の撮影。フェリーで稚内へ戻り、港の近くの旅館に宿泊。65.7km。

9/23(火);5日目。稚内〜天塩〜遠別、晴れ。
稚内(稚内公園、ノシャップ岬等)を観光したあと、オロロンラインをひたすら南下。向い風がちょっと辛かった。食事した「地平線倶楽部」さんで茹でたての「とうきみ」を3本も頂き大感激!。遠別の旅館に宿泊。103.7km。遠別川で今年初めての鮭の遡上を見た。夜のストレッチ中に腰を痛める(ちょっと情けない)。

9/24(水);6日目。遠別〜羽幌←(フェリー)→天売島、晴れ。
羽幌まで走り13時発のフェリーで天売島へ渡る。天売島を時計廻りに一周しながら、観光と写真撮影。港の近くの民宿旅館に宿泊。61.1km。フェリーの中では日本最北端の蔵元で造られる銘酒「国稀」で乾杯!。

9/25(木);7日目。天売島←(フェリー)→焼尻島←(フェリー)→羽幌、曇り。
たら漁の水揚げを見物したあと、フェリーで焼尻島へ渡り、島を一周して観光と写真撮影。その後、フェリーで羽幌へ戻り、港近くの旅館に宿泊。11.7km。またまたフェリーで酒盛りしてしまった。

9/26(金);8日目。羽幌〜苫前〜小平〜留萌〜深川、雨のち曇り時々晴れ。
雨装備で出発し、花田ニシン番屋で雨具を脱ぐ。その後は、追い風に乗り快調に走る。秋の気配が深くなった北海道の中部は稲の収穫が始まったばかりでした。深川駅近くの旅館に宿泊。106.5km。

9/27(土);9日目(最終日)。深川←(輪行)→新千歳空港←(輪行)→福岡、曇り時々晴れ。
深川駅で自転車を袋に詰め、新千歳空港まで電車で直行。自転車を預けた後、ゆっくりとお土産を買い、味噌ラーメン(+サッポロビール)を食べ、飛行機に乗りました。0.5km。


2003/09/19(金) 1日目:移動日(福岡〜新千歳〜札幌を飛行機と電車で輪行)

福岡空港に10時過ぎに集合。手荷物カウンターに自転車を預けて一安心!。今回は寒さ対策の装備?が多いので荷物も重たい!。11時過ぎの飛行機に乗り、13時半前に新千歳空港に到着。新千歳空港は雨が降っていた。

手渡し扱いのため、手荷物ベルト横のドアから真っ先に出てきた輪行袋(自転車)をカートに積み込み、JR新千歳空港駅に向う。快速エアポートでJR札幌駅に14時過ぎに到着し、サンドイッチで軽く昼食。 ここで馬場ちゃんと別れ、東苗穂の友人宅へ向う。昨年の夏に他界した同年の友人の墓参りだ。

JR札幌駅に戻り、雨の中をタクシー(輪行袋が後部座席で、人は運転手さんの横)で札幌グランドホテルへ向う。普段はシティーホテルに泊まることはないが、航空券とセットのため、いつもより豪華だ。 フロントでチャックインしようとしていると、「や〜、いらっしゃい!」と北海道なまりの大きな声で出迎えてくれた人がいた。山陰地方をツーリング中に出会い、その後も交流を続けていた「江別の文平さん」だ。 「ツーリングの途中で是非お会いしたい」と電話連絡し、ツーリングの計画表も事前に郵送しておいたが、わざわざホテルまで迎えに来ていただいたのだ。

ホテルの部屋でしばらく懇談した後、文平さんが予約してくれていた「札幌ビール園」へ向う。札幌ビール園のテーブルにつき、まずは生ビールで乾杯!。ビールがす〜っと喉を通り過ぎていく。 ジンギスカンホールで仕込釜ケッセルを見ながら、出来たての生ビールを飲み、ジンギスカンを食べ、大いに語り、またビール!。あっという間に時間が過ぎていく。

それにしても文平さんの野望は果てしない。我々より一回りも年上なのだが、定年退職後は放送大学に通い、100kmマラソンを走り、自転車で日本縦断する。そして来春は2週間かけて台湾を一周し、いつかはアメリカ大陸横断5,000kmに挑戦するのが夢だという。すごい!、すご過ぎるかも・・・。我々も頑張らなくちゃね〜、馬場ちゃん!。

ビールとジンギスカンに満腹して、赤レンガのビール園の前庭で記念写真を撮っている時、徒歩で日本一周中の「熊本の小笠原くん」に出会う。熊本から応援にきた立川くん、清田さんも一緒だ。 我々も自転車で日本一周、日本縦断したんだよ!。ちょっと自慢交じりのエールを交わし、そして記念撮影。小笠原くん、頑張って良い思いでをいっぱい作ってね!。 文平さんにホテルまで送って頂き、そこでお別れ。文平さん、ど〜もご馳走さまでした。明日は「スーパー宗谷1号」で稚内へと向う。明日からは晴れそうだ。おやすみなさ〜い!。

札幌ビール園・ジンギスカンホール前にて。左から、馬場ちゃん、徒歩で日本一周中の熊本の小笠原くん、文平さん、熊本から応援にきた立川くん、清田さん。


2003/09/20(土) 2日目:移動日(札幌〜稚内をスーパー宗谷1号で輪行し、フェリーで礼文島へ渡る)。走行距離は4.5km。

6時に起床。昨日とうって変わって快晴。バイキングの朝食を摂り、7時45分にホテルをチェックアウト。今日もタクシーでJR札幌駅まで輪行する。

8時半発の「スーパー宗谷1号」(左の写真)で稚内へ向う。車内はほぼ満席状態。線路沿いには水田が広がっている。

北海道の内陸部はすでに実りの秋を迎えているが、北に行く(なる)につれて、冷夏のために実りきれなかった青黒い稲穂が増えているような気がする。時折、道路がぬれている。通り雨か?。晴れているのに雨が降ることを北海道では「キタキツネの嫁入り」なんていうのかな?っなんてことを考えてしまう・・・。すんません。あっという間に「塩狩峠」を通過。

音威子府を過ぎて水田が消え、牧場に変っていく。
時折、天塩川が真近に迫ってくる
車内では、時々ビールを飲んで、うとうと!。次第に稚内の丘の上に建つ記念塔が大きくなってくる。もう少しだ。

13時半頃にJR稚内駅に到着。日本最北端の駅で、鉄道のレールもここで終わりだ。パンフレットでよく使われる風景ですね。日本最北端のレールを撮影して走行準備を開始する。

これもパンフレットでよく出てくる写真(日本最北端の駅・稚内駅の看板)です。この看板の下で自転車を組み立て、14時20分に稚内港へ向けて出発。晴れてはいるが風が強い。さすがに稚内は風の町だ。こんな風も地元の人にとっては無風?。

稚内港北防波堤ドームです。JR稚内駅からすぐ近くですが、これも有名ですね。この防波堤ドームの下(中)では、地元の海産物等の物産展が開催されている。写真撮影にはちょっと邪魔だけどね!。 稚内港から15時10分発の東日本海フェリー「フィルイーズ宗谷」で礼文島(香深港)へ向う。2時間弱の船旅。船上から宗谷岬、そしてノシャップ岬が見える。ノシャップ岬に建つ稚内灯台を眺め、近づいてくる礼文島/利尻島を見ていると、北海道へ来たんだな〜っという気持ちが強くなってくる。波は比較的に穏やかだ。 17時過ぎに礼文島の香深港に到着

予約しておいた港の近くの民宿を探し当て、チェックインするまで、港近くをポタポタする。日陰に入ると風が冷たく感じられる。 明日からの走り(ポタリング)に備えて、今日は早めに寝ることにする。でも、列車内やフェリーの中で、うたた寝していたので、ちゃんと眠れるか心配だ。


2003/09/21(日) 3日目:礼文島ポタリング(観光&灯台撮影)

6時過ぎに起床、今日も晴れ。7時から朝食を摂り、8時頃に出発。まず、香深灯台の撮影。香深灯台は丘の上にある香深小校の横に建っており、急な階段を登ってたどり着く。でも、午前中は逆光になりうまく撮影出来ない。 朝の海岸は穏やかで湖のようだ。穏やかな海には小船が浮かび、漁師達が海を覗き込みながら「うに」漁をしている。 ノシャップ岬や利尻島を右に眺めながら、礼文島を南北に縦断する道々40号線をのんびりと走り、上泊埼灯台に寄って記念撮影。 道々40号線を離れ、海岸沿いに金田ノ岬を目指す。時折強い逆風が吹く。

金田ノ岬灯台の前に立つ馬場ちゃんです。礼文島を南北に縦断する道々40号線は、ほとんど平坦ですが、上泊から船泊の間はアップダウンがあります。坂がきらいな方は、海岸沿いに金田ノ岬を経由するとアップダウンを避けることができますよ。金田ノ岬から船泊経由でスコトン岬に向って走り、「江戸屋」地区の分かれ道に差し掛かった時でした、畑を耕していたおじいさんが、「スコトン岬へ行くなら左折だよ。往きは上、帰りは下!。」とわめくのです。 我々は、平坦で楽そうな下の道を行くつもりだったのですが、おじいさんの実直そうで強引なアドバイスの迫力に負け、急な坂道を「江戸屋山道、スコトン岬展望台」方面へ曲がることにしました。

「あの親父は強引だな〜!。これで何もなかったら・・・」。ぶつぶつと文句を言いながら、急な登り坂をしばらく登り「スコトン岬展望台」に到着。そこで、さわやかな秋風と素晴らしい展望に、歓声をあげてしまいました。 快晴の青空の下に伸びるスコトン岬、その先に見えるトド島。そしてなにより、地平線に微かに見える島影、あれこそサハリン(樺太)!。3回目の稚内にして、初めて見ることができた島影です!。 また、スコトン岬展望台の横には、「海に国境はない!」と鎖国の禁を破って海外との交易を続け、遂には獄中で死亡した加賀の豪商「銭屋五兵衛」の碑が建てられていました。 樺太の島影にしばし見とれた後、スコトン岬に向けて下りました。

スコトン岬展望台を下って、11時近くにスコトン岬に到着。香深からここまで約33kmでした。奥に見える島が「トド島」です。 記念撮影やトド島灯台の写真撮影をした後、ベンチで安全祈願のお神酒を傾けました。今日は走行距離が少ないので、十分に余裕があります。 ぽかぽか陽気とさわやかな風、そしておいしい日本酒。最高の気分で、ず〜っと座っていたい気分です(手前は、愛車「走一郎」こと、改レダックRD-6です)。 いつまでも休んでいられないので12時に出発しました。
船泊と上泊のあいだには、日本最北端という自衛隊基地もありました。ず〜っと道々40号線を南下します。利尻富士の山頂にかかる雲はなかなか晴れれません。

礼文島のほぼ南端の崖の上に建つ奮部灯台から撮影した利尻島です。この日は、好天が続いたのですが、利尻富士の山頂は、ず〜っと雲に隠れたままでした。 利尻富士に阻まれて上昇する空気が冷えて水蒸気となり、雲が発生しているようですね。山が雲を呼び(山にぶつかった上昇気流が冷えて雲が発生し)、雲が雨を呼ぶ(雨が降る)、まさにそのまま。

この後、知床地区から元地灯台まで約2kmの登り坂を30分かけて歩きました。往復4km、約1時間の行程でした。元地灯台の先は崖になっているので、写真撮影に良い場所を捜すのも命崖?です。 礼文島を散策/ハイキングしているグループとすれ違う度に、挨拶を交わすのはまるで山登りです。

16時半、香深の丘の上に建つペンション「う〜に〜」に到着。直前の坂がすご〜く急で、とうとう自転車を降りて押すことに・・・!。今日の走行距離は70.9km。 できれば、知床の民宿に泊まって、海に沈む夕陽を見ながらビールを楽しみたかったのですが、この時期だとすでに知床の民宿は閉まっていて、香深まで戻って宿をとることになってしまいました。 牛ちゃん/馬場ちゃんのおやじコンビには、ちょっと似あわないさわやかなペンションですが、良いな雰囲気で、食事もすごくおいしかったよ!。そして、この日だけはワインで乾杯でした!。 この旅はじめての走りに、ちょっと興奮し、心地よく疲れました。


2003/09/22(月) 4日目:礼文島←(フェリー)→利尻島(一周)←(フェリー)→稚内

4日目の朝は、さわやかに明けたが、桃岩展望台までの2.6kmの登り坂は、かなり辛い。

基本的に、走り始めは体が温まるまでスローペースを守るのだが、そうも言っていられない。

でも、登り切れば辛さなんか忘れてしまうよね。さわやかな風が、体を包んでくれる。

振り返ると、香深の町が広がっている。この風景を再び見ることがあるのかな?。いろいろな場所を旅しながら、そのように思う。できれば、また来たいものだ。

香深港まで下り、フェリーで利尻島の鴛泊港へ向う。

礼文島は快晴だったが、利尻富士には雲がかかり、フェリーまで雨滴が飛んでくる(最初は波のしぶきが飛んでいるのだと思っていたが、利尻島に近づくにつれて、雨が降っていることに気づいた)。

鴛泊港でしばらく雨宿り。礼文島は快晴だったが、利尻島はお天気雨。キタキツネの嫁入り?、なんて考えてしまう。まさに、うっそ〜!って言いたい気分。

雲は空一杯に広がっているのではなく、南のほうは晴れていそうなので、小雨のなかを出発する。

すぐに雨はあがり、追い風のなかを快調に走る。時折、小雨がぱらつく。

利尻島は礼文島に比べて道が狭く、アップダウンも多い(礼文島は道も広いし、アップダウンもほとんどない)。

利尻島の最南端、仙法志地区を過ぎて逆風になる。

利尻富士を背景にした沓形岬灯台です。快晴の青空と白い雲、緑の利尻富士、そして白と赤の灯台。絵になる風景です。岩の上に建つ、ちょっと変った四角形の灯台でした。

この後も反時計廻りに利尻島をぐる〜っと一周。利尻島の北部にはサイクリングコースがあるようだが、先を急ぐ我々は、道々106号線を走る。逆風でペース上がらず。

利尻島を一周し鴛泊港に到着。約60km。急いで鴛泊港のすぐ北にあるベシ岬に登り、鴛泊灯台を撮影する。馬場ちゃんに購入を頼んでいたチケットを受け取り、息を切らせながらフェリーに乗船。

昨日から山登りばかりしている。灯台撮影も大変だ。

フェリーで稚内へ戻る。さらば、礼文島/利尻島。

フェリーの中から稚内の宿に到着予定時間を連絡。ビールで乾杯しながら、馬場ちゃんと明日の行程について打ち合わる。そして、稚内をゆっくり見物するために、明日は遠別泊まりに決定。

18時前に、稚内港の近くの旅館にチェックイン。夕食後、遠別に宿を予約する。明日も晴れそうだ。追い風を祈りながら21時に就寝!。


2003/09/23(火) 5日目:稚内〜天塩〜遠別

今日は早立ち。5時50分から朝食を摂る。この旅館は9月までは5時40分から朝食の準備ができるという。早立ちに客にはとってもありがたい。7時に出発。

稚内公園までの急坂は、途中から押す。
稚内公園に建てられた「九人の乙女の碑」です。終戦直後の昭和20年(1945年)8月20日、ソ連軍の侵攻の中にあった樺太。その緊迫した状況の中、最後まで交換業務の任務を果たし、自らの命を絶った樺太真岡郵便局の9人の若き女性交換手たちを慰霊しています。屏風状の碑には亡くなった9人の名前、交換手姿の乙女の像を刻んだレリーフ、そして彼女たちの最後の言葉「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」の文が刻まれています。

我が先達の碑。レリーフの「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」を読んでいるうちに、言葉に詰まってしまう。そして、快晴のなか、彼女達が命を絶った樺太の島々がくっきりと姿を見せていた。

稚内公園をおりてノシャップ岬へ向う。
雲ひとつ無い快晴のなかに、利尻富士が美しいシルエットを見せている。

これから、遠別まで海岸沿いにオロロンライン(道々254号線/抜海港線、道々106号線/稚内手塩線、国道232号線/手塩国道)を南下します。

ず〜っと平坦で、交通量の少ない道が続く。
ず〜っとまっすぐな道は、いかにも北海道らしく、そして自転車にはちょっと辛いかな?。
走っても走っても、まだまだまっすぐな道が続いています。

車がものすごいスピードで追い抜いていき、バーンという風圧にハンドルが取られそうになる。時折、トラックに向って「ばかやろ〜!」っと叫ぶ。同じトラックでも、風圧が全然違うのは何故だろう?。車のデザイン?、それともスピード?。

ず〜っと向い風で、なかなかペースがあがらない。今日中に遠別まで到着できるのだろうか?、ちょっと不安になる。 「こうほねの家」では、「はまなす」の花と実を見たが、実は「なす」というより「ミニトマト」に似ている感じがする。

横に見ていた利尻富士も、次第に後方に流れ去り、いつしか首を回さないと見えないようになった。

風は次第に横風に変ってきたが、道路沿いには全然食堂が見つからない。腹が減ったな〜!。休憩できる場所もない(公園や休憩場所がないという意味、砂浜に座って休憩することは可能です)。

「キタキツネ」発見!。でも、昨晩、車にはねられたようで、道路脇でピクリとも動きません。

北海道は歩道が広いので、横に並んでおしゃべりしながら走るのもOK。楽しいよ。

12:20 「北緯45度通過点」のモニュメントの前で記念撮影。でも、腹減ったな〜!。 「北緯45度通過点」のモニュメントのすぐ先に、食堂「地平線倶楽部」を発見。よかった〜!。うれし〜い!。
北海道らしく「ホッキカレー」、「いも団子」で昼食。そしてデザートに「ハスカップアイスクリーム」。うまかった〜!。
どうにかエネルギーを補給し、一安心。

食事を終えて出発準備をしていると、食堂のおかみさんから「貰い物だけど・・・」と「とうもろこし」をもらった(それも3本づつ)。旅の途中でぜひ食べたいと思っていただけに、すごく嬉しかった。ありがとう「地平線倶楽部」さん、帰ったらホームページに写真入りで宣伝しておくからね〜!、と心に誓って出発。旅先でふれる優しさは、じ〜んと心に沁みてくる。

左の写真が「地平線倶楽部」の前で、とうもろこし(北海道では「とうきみ」という)をほうばるポーズの馬場ちゃんです。
「地平線倶楽部」は「北緯45度通過点」のモニュメントのちょっと南で、道々106号線のすぐそばです。料理もおいしいですよ。皆さんも、ぜひ寄ってくださいね。

サロベツ原野パーキングの道路向かいに、ず〜っと立ち並ぶ風車群。28基の風車が回る様子は、まさに壮観です。

苫前町にも、たくさんの風車がありましたが、風の強い北海道の新しい風物詩になりそうですね。公害のないクリーンエネルギーです。大切に育って欲しいものです。

手塩町で、「天塩川歴史資料館」に入る。道北の大河「天塩川」が育んだ、さまざまな文化の遺品が展示されていた。

遠別川の河口(河川公園)で、夕陽をみながら缶ビールで乾杯!。河口近くの海岸では鮭釣りの竿が林立している。利尻島(山)と焼尻島が左右に遠望できる。明日も晴れそうだ。

★注意事項★
オロロンラインで稚内の次の町は手塩です。その間で食事ができる店といえば、「こうほねの家」そして「地平線倶楽部」です(レストハウス砂丘林はお休みでした)。要注意ですぞ!(もちろんGSもなし)。


2003/09/24(水) 6日目:遠別〜羽幌←(フェリー)→天売島

6日目の朝は5時40分に起床。快晴だが、窓の結露がすごい!。最低気温が低くなってきたということかな?。

昨夜、ストレッチ中に腰を痛めた。バンテリンを塗って寝たが、まだ痛みが強い。洗顔時も、腰を曲げると痛みが走るので、片手で体をささえ、残る片手で洗顔する。立ち座り時も痛みがある。こんな調子で走れるのだろうか?。不安が湧き上がってくる。荷物も一気に運べないので、分けて運ぶ。

7時半に出発。自転車にまたがると、腰の痛みはほとんど感じない。自転車ではお尻と腕と足で負荷(体重)を分担するので、腰にかかる負担が少ないのかな?。走れないんじゃないかという不安が解消されたわけではないが、ほっと胸をなでおろす。でも、慎重に、慎重に・・・。旅はまだまだ中盤だ。

遠別川で今年初めての鮭の遡上を見る。

オタコシベツ川(歌越)を過ぎた頃から、アップダウンが始まる。初山別までは急なアップダウンが続き、その後は比較的緩やかなアップダウンとなる。

左の写真は初山別村の金毘羅岬から、手塩国道を振り返って撮ったものだが、道路がアップダウンしている様子が伺えるでしょう!(左端がアップダウンが始まる歌越です)。

金毘羅岬灯台を撮影したあと、比較的緩やかになったアップダウンを走る。JRの廃線跡が道路に並行して続いている。

10:30 休憩。昨日「地平線倶楽部」で頂いた「とうきみ」をおやつに食べる。う・ま・い!。疲れが吹っ飛んでいくようだ。

11:20 羽幌港に到着。天売島/焼尻島行きのフェリーの出港時間を確認して、昼食の買出しに行く。近くの酒屋さんで最北の醸造所「国稀酒造」で造られた「国稀・本醸造」をゲット!(本当は「国稀・純米酒」が欲しかったが、売り切れていた)。

羽幌港の岸壁で缶ビールとおにぎり、そしてデザートのとうきみでゆっくりと昼食。

13:00 フェリーが出発。船内はおじいさん/おばあさんばっかり。観光客の姿は見えない。早速、甲板で「国稀・本醸造」を酌み交わす。う〜ん、美味成り!。利尻富士がおぼろに見えている。

14:40 焼尻港を経由して天売港に到着。フェリーから降りる車は我々の自転車のみ。積荷はほとんど生活物資のようだ。

海鳥の島・天売島は一周約11kmのちっちゃな島です。

でも、赤岩(展望台)までの約3kmの登りは結構タフです。フェリーでのお酒の飲みすぎには注意しましょう。ぜ〜ぜ〜と息をきらせながら、登ることになりますよ。また、変速機のついていないママチャリでは、ずっと押して登ることになるでしょう。だったら徒歩のほうが・・・。

赤岩(展望台)は60万羽が繁殖するといわれるウトウの帰巣シーンが有名だが、5月から8月中旬までが見頃(繁殖期/育児期)だそうで、8月下旬になると鳥達は育児を終えて海へ飛び立ってしまうそうです。 海鵜やかもめ程度は残っていますが・・・。

この後も、600mほど登りが続きます。

天売島は西岸が高い崖となっていて、その崖が壁となって北風から東岸の港/民家を守っているようです。

天売島の山の上から見る焼尻島です。焼尻島のほうが平坦ですね。

天売島で目に付いた看板で、「まむしに注意!」というのがあります。本当?、それとも観光客が草原等に入り込まないための警告?。北海道にまむしっているんですかね〜?。でも、足元には気をつけて写真撮影しました。

天売島灯台の沖に建つ「鴎岩灯標」です。民宿旅館のすぐ横で撮影しました。

夕食を食べながら旅館のおかみさんと雑談。宿は今日一杯で、明日からは漁一本になるそうだ。鮭漁が忙しくて旅館なんかやっていられないとのこと。

腰の痛みは走っているうちに少なくなってきた。午前中は立ち座りするときは、何かにつかまっていたが、午後は特に意識することもなくなった。走るのはもちろん、輪行袋を担げないと帰れなくなってしまうので一安心!。

20時半に早め(ちょっと早過ぎ?)の就寝。


2003/09/25(木) 7日目:天売島←(フェリー)→焼尻島←(フェリー)→羽幌

5時半頃に目が覚める。馬場ちゃんは散歩に行き、牛ちゃんは布団でごろごろ。腰の具合もまあまあだ!。

7時半に朝食。お代わりしても足りないくらい食欲がある。元気、元気!。

焼尻島行きのフェリーは10:25出発なので、周辺を散歩する。
写真は天売港の上の「愛鳥展望台」で遊ぶ馬場ちゃんです。

宿に戻ると、宿のおばちゃん(おかみさん)が、ゴムガッパのフル装備をして船の帰りを待ちながら、大きな声でおしゃべりしている。早朝4時に出港した船が、まもなく帰ってくると聞き、あわてて荷作りして船の帰りを待つ。

興栄丸が港に帰ってきて、いよいよ水揚げの開始。まずは、揚げてきたばかりの網が入ったカゴを港に揚げる。かなりの力仕事だ。

水揚げの風景・その1
水揚げの風景・その2

次に、カゴから網をだし、網にかかった魚を外す。結構細かい仕事だ。

時折、猫が獲物の一部をこっそりとかっさらっていくが、おばさん達は全然気にしている様子はない。

大きな魚はトロ箱に氷詰めして、羽幌の市場へ出荷するようだ。写真は穫れ立ての「鱈」です。お腹もぷく〜っと膨らんでいて、すっご〜く、うまそうでしょう。

10:25 焼尻島行きのフェリーに乗船。先ほど収穫されたばかりの魚のトロ箱も荷物の一部になっている。

10:55 焼尻島に上陸。うす曇り。ゆっくりと走り始める。焼尻島は「やきじりとう」ではなく、「やぎしりとう」とよぶそうだ。

焼尻島は一周約11kmの、比較的平坦な小さな島だ。

反時計回りに走りと、すぐに焼尻島灯台に到着。灯台は点検の最中だったが、灯台名を表示するプレートがない。何故?。その代わりなのだろうか、「焼尻島総合管制舎」という看板が掛けられていた。

すぐ先には、ラナルド・マクドナルド上陸記念の碑が建っている。

「1848年(嘉永元年)、利尻島の北東海岸にラナルド・マクドナルドという一人の異国人が漂流を装って上陸しました。マクドナルドは、鎖国の日本に早く入って、いずれ開かれた時に通訳ができればということが目的で、焼尻島を経て利尻島に上陸しました。利尻島では好意に拘束生活でしたが、宗谷・松前を経て長崎に送られました。

長崎では約半年間、監禁生活を送りましたが、その間にオランダ通事たち14人に英語を教えたことにより、日本初の英語教師といわれております。」だそうだ。長崎にも来たと言う事だが、九州人の我々にも初耳だった。 高台の鷹ノ巣展望台でゆっくりと休憩し、一本だけ残っていた「とうきみ」を食べる。冷えているが、やっぱりうまい。

焼尻島を反時計回りに一周し、「工兵御街道記念碑」、「会津藩士の墓」等を観る。
最後に、焼尻港の近くの「焼尻郷土資料館」を観ようとしたが、すでに館は閉鎖されており、ガラス越しに内部の様子を伺う。

14:00 焼尻港に到着。近くの土産物屋さんで買物し、カップヌードルと缶ビールで遅い昼食を摂る。最期まで営業している土産物屋さんも、9月いっぱいで店を閉めるそうだ。
15:35 15分遅れてフェリーが出港。またまた国稀・本醸造で乾杯。島々への別れの感傷か、気勢があがらないこと甚だしい。

16:30 羽幌港に到着。宿は港のすぐ近くだ。
夕食の途中で雨が降り始める。宿に着いた後で降り始めたのは有難いが、明日は雨になりそうだ。明日の走りも天気次第だな。


2003/09/26(金) 8日目:羽幌〜苫前〜小平〜留萌〜深川

4:50頃、目が覚めてトイレに行く。トイレ(小便)中に体がふらふらするので、寝ぼけているのかと思ったが、蛍光灯の紐がゆれているのを見て、あ〜地震だなと分かった。福岡は地震が少ないので、最初はちょっとびっくりした。結構長い間、ゆっくりと揺れていた。

部屋に戻ると馬場ちゃんも目を覚ましていて、「下で柱ば揺らしよったろ!」とか冗談をとばす。TVを点けるとすでに地震の状況が放映されていて、マグニチュードは8.X。大きな地震だったようで、十勝/釧路方面ではかなり被害がでているようだが、日本海側でさほど影響は感じられない。

小雨が降っている。今日は、レーサージャージ(長袖)、レーパン(長)、雨具、シューズカバー、防水グローブのフル雨仕様で走ることに決定。

7:30 出発。まだ雨が降り続いている。でも道路は平坦なので走行ペースはGood!。

苫前埼灯台を探して、あっちをウロウロ、こっちをウロウロ。どうにも見つからない。どうにか、馬場ちゃんが見つけてくれた灯台へ向う道を登り、雨の中で写真撮影。

雨は次第に小雨になってくるが、雨具を脱ぐタイミングが難しい。

9:40 改装中の花田にしん番屋に到着。ここまで31km。すでに雨はあがっており、ここで雨具を脱ぐ。

10:55 留萌灯台から撮った留萌の風景です。ここまで53km。留萌からはJRがあるので、天気次第では輪行することも考えていたが、晴れ間もでてきたので、このまま深川まで走ることにする。

留萌市街のコンビニで昼食を摂る。最近はコンビニの横に座って食事を摂ることも恥ずかしくなくなった。慣れってこわい!。

昼食を摂りながら携帯のメールをチェックすると、いろいろな人から地震の影響を心配するメールが届いていた。我々にとっては、遠い十勝/釧路方面での出来事なのだが、いろいろと心配を掛けているようだ。早速、「無事だよ!」と返信する。

留萌から美馬牛峠(標高102m)まで、ゆるやかな上り坂が続く。でも、追い風にのって快調に距離を稼いで行く。でもRoute233は路側に小砂利が多い。

14:20 美馬牛峠。標高102mで、峠と言えないくらいの峠だ。ここまで81km。ちょっと休憩。

下り坂と追い風にのって、馬場ちゃんが快調にとばす。ツーリング最後の走り日なので、ゆっくりと走ろうよと声をかける。

北竜町は水稲の収穫が始まっている。美馬牛峠の手前から側道の状態は悪くなっている。

次第にゴールが近づいてくる。旅を終える淋しさがつのってくる。でも、雲の多い空には、旅のゴールを祝福するように虹がかかっていた。

16:30 深川市の宿に到着。今日の走行距離は106.5km。ここでツーリング・ド・北海道6の走りは終了。トータルの走行距離は423.7km。輪行したり、フェリーに乗っている時間が長い分だけ走る距離が短かったが、完走を祝して馬場ちゃんと乾杯!。


2003/09/27(土) 9日目(最終日):深川←(輪行)→新千歳空港←(輪行)→福岡

JR深川駅です。ここから新千歳空港までJR北海道で輪行し飛行機に乗る。

新千歳空港では、自転車を手荷物として預けた後、お土産を買い、「北海道ラーメン道場」の「北の時計台」で「みそラーメン」を食べ、「サッポロクラシックラガー」で乾杯して、旅の無事を感謝する。

「また、来年も来たいな!」という気持ちが強くなってくる。


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