キートン爺の北海道サイクルツーリング紀行(その1)

2004/07/14〜7/25
赤:サイクルツーリング     黒:輪行

No 日 付 コース start時表示
[km]
全乗車距離
[km]
移動距離
[km]
移動時間
[hr]
平均速度
[km/hr]
Max速度
[km/hr]
ポタリング
[km]
1日目 2004/07/14稚内〜浜頓別390.990.789.54.0022.543.01.2
2日目 2004/07/15〜日の出岬481.699.697.74.8120.336.51.9
3日目 2004/07/16〜キムアネップ岬581.2103.8100.44.8520.746.03.4
4日目 2004/07/17〜屈斜路湖685.0124.1123.76.4519.137.00.4
5日目 2004/07/18〜根室809.1138.3136.56.2921.744.01.8
6日目 2004/07/19〜霧多布岬947.4123.5120.66.0819.948.52.9
7日目 2004/07/20〜厚岸1070.959.145.22.6217.238.513.0
8日目 2004/07/21〜阿寒丹頂の里1130.0106.3100.85.3318.946.55.5
9日目 2004/07/22〜浦幌1236.385.180.74.3018.846.54.4
10日目 2004/07/23〜帯広〜千歳1321.475.956.42.6021.936.019.5
11日目 2004/07/24支笏湖ポタリング1397.367.367.3
12日目 2004/07/25千歳ポタリング1464.69.09.0
合        計 1082.7951.547.3320.8131.2
全上昇量:6,437m    全下降量:7,312m


【旅人】

ペンネーム:キートン爺(61歳10ヶ月、静岡県三島市在住)

【序】
40年以上におよぶ会社勤めを停年退職して、自由人になったため、ほのかな夢だった北海道サイクルツーリングを計画し、実行することにした。
本計画/実行に当たって、福岡市在住の“牛ちゃん”こと、牛嶋氏のホームページに触発されたのは、紛れのない事実だ。
当初計画は、稚内空港〜宗谷岬〜網走〜幌別峠〜屈斜路湖〜別海〜根室〜納沙布岬〜霧多布岬〜釧路〜襟裳岬〜千歳空港の1200km以上を走破することにしていたが、襟裳岬が自転車通行止めだったため、釧路から帯広へ行き、千歳へ輪行して、洞爺湖観光に切り替えた。
旅は、原則としてキャンプ場にテントを持ち込み、寝泊りし、食事はコンビニで調達することで、経費と荷物量の両方を低減した。
【旅の持ち物】

サイクリング車:GIANT社製フラットバー・スポルティエフに荷台取り付け 約10kg
サイクリング備品:パンク修理用パッチ。ゴム糊。タイヤチューブ2。空気入れ。輪行バッグ。ヘルメット。ハンディGPS。サイクルコンピュータ。ライト4
工具類:六角レンジ(3〜6mm)。(+)(−)ドライバー。パンク修理工具
キャンプ用品:軽量テント。軽量シュラフ。ゴアテックス雨具。発泡ポリエチレン小片2
衣類:ポロシャツ3。短パン2。レース用短パン1。下着3。靴下3。寒さ対策腕/足カバー。雨用シューズカバー。Tシャツ。
靴:シマノ製SPDシューズにしたかったのだが、はじめての北海道ツーリングのため悩んだ末、履きなれたテニスシューズとした
その他:携帯電話/充電器。現金。銀行カード。手帳/ペン。北海道ツーリングマップル(旺文社)。キャンプ場情報集(I-netダウンロード)。タオル。石鹸。洗濯用粉石鹸。髭剃り。ゴムひも。デジタルカメラ。
サイクリング車以外の重量は、約10kg。このうち、7kgを3つのバッグに詰めて、自転車に積載し、衣類など約3kgは、背中のDバッグとウエストバッグに収納した。
【感想と反省】
キャンプしながらのサイクルツーリングだったが、食事は、すべて外食およびコンビニ弁当にして、荷物量を減らしたことは、体力の低下した爺にとって成功だった。日帰り温泉の近くにキャンプ場を選択したことは、大正解。北海道は魅力がいっぱい、何度も来たい。

(1)役に立った用品
   イチ推しは、ゴアテックス製上下雨具。雨の日はもちろん、寒さ対策や蚊対策で重宝した。軽くて、体のムレが少ないのがよい。朝、まだ気温が低いときは、この雨具の上着を着て走ったし、夕方からは寒さと蚊対策のためいつも着ていた。 軽量一人用テント(1.5kg)や150gの羽毛シュラフも使い勝手は良かった。

(2)持ってゆくべきだった用品
   ・潤滑油:雨によるチェーンの油切れのため、異音がして困った。缶詰の魚油でしのいだが、ほんの少し、潤滑油を持参すべきだった。
   ・ブレーキシュー:雨の坂では、ブレーキシューは意外と消耗することが分かった。
   ・ビーチサンダル:今回、履物はテニスシューズ1足だったので、いつもこのシューズを履かねばならなかった。軽量のビーチサンダルがあると助かったのに。

(3)使用しなかった用品
   ・パンク対策用品:運良くパンクはしなかった。空気圧を高めにしたこと、走行中は、ガラスや段差に注意したことが効いたのかな。
   ・(+)(−)ドライバー:愛車に故障なし。
   ・寒さ対策用、足カバー/腕カバー:夏の北海道では、ゴアテックス雨具があれば不要。
   ・シューズカバー:雨が降ってきたが、着ける時間なし。

(4)今後の課題と反省
   ・デジタルカメラは、出始めのころに買ったものであり、重いのと使い勝手の悪さに閉口。もっとコンパクトで性能の良いものに買い替えの時期だ。
   ・少し、衣類を持ちすぎた。濡れると重くなるので、もっと減らすべきだった。
   ・もっと、観光のための時間を割くべきだったな。何もあわてて距離を稼ぐ必要はない。自由人の爺には時間はたっぷりだ。

【第一日目:7月14日(水)】
朝4時には目をさます。夕べは少し興奮していたせいか、眠りは浅かったようだ。昨日までに準備は終了しているので、朝食後、奥方様に三島駅まで車で送ってもらう。
三島駅始発6:26の「こだま」で東京へ向かう。東京から羽田までは、浜松町を経由してモノレールだ。この間、両肩や腰に合計20kgの荷物が食込むが、それよりも荷物の大きさが問題だ。しかし、まだ朝早いせいか乗客は少なく、他人様に迷惑をかけることがなくて助かる。
羽田で、主な荷物は手荷物として預けるが、このとき、「自転車が破損しても、ANAは責任をとりません」なる契約書にサインさせられる。やっと、重くて場所をとる荷物から開放されてやれやれだ。

予定どおり、ANA便は9:45に稚内へ向けて飛び立つ。機内のサラリーマンと思えし男性は当然、スーツ姿だ。周りを見渡しても、爺のようにいつものテニススタイル(白のポロシャツに黒の短パン)をした人はいない。皆さんお勤めご苦労様と心の中で思いつつも、あっという間に機体は北海道の上空だ。
北海道はどこもよく晴れていて視界はよい。あれは、羊蹄山かな。利尻島が見える、利尻富士だ。おっ、カラフトが見えるぞと眺めている間に、機体は稚内空港に降り立つ。
うー寒い。稚内空港の気温は21℃だそうだが、風ビュービューだ。これで、自転車漕げるのかと心配になる。

早速、輪行袋からバラした自転車を取出し、組み立てはじめる。東京から来たという二人組みの中青年は、早くも自分らのロードレーサーを組み立てて、先に走り去って行った。彼らは3日間の予定で、稚内と礼文島、利尻島をまわるのだという。
爺は、モタモタしながらもやっと、組み立てを終了し、荷物を積載してさあ、出発だ(12:30)。しかし、すぐにつまずく。右に行くのかそれとも左かな。あわてて、GPSで確認する。右へ曲がるのが正解だ。強い横風を受けながら、海側へ向かって進む。やがて、稚内市街と宗谷岬への三叉路にぶつかる。むろん、宗谷岬への進路をとる。ラッキーなことに強い追い風だ。道路はフラットで広いし、車は少ない。ここはハイスピードコースだとがんがんとばす。10kgの荷物を積載しているにもかかわらず、時速は40km/hr近くだ。左側に見える海は青くて透明できれいだ。空は雲ひとつない真っ青。遠くをカモメが鳴きながら飛ぶ。

宗谷岬へあと数km程度のところで、コンビニを発見。ここで、遅い昼食を取ることにする。すると、先ほどの二人組がいるではないか。今日は宗谷岬を往復するそうだ。爺は、この風だと、行きはよいよい、帰りはこわいだな、と心でつぶやく。
宗谷岬の手前で、間宮林蔵が江戸時代後期にカラフトへ渡ったという記念碑で写真をとる。林蔵は、約200年前、どんな気持ちでここから出発したのだろうか、感慨深い。そういえば、司馬遼太郎の「菜の花の沖」で、間宮林蔵がでていたな、と、大昔に読んだ本を思い出す。
宗谷岬着13:37。ここまで23.8km。宗谷岬の記念碑の前は、写真撮影のために行列だ。どこかの若いモーターライダーとお互いに記念写真を撮りあう。岬発13;52。

宗谷岬をまわった途端に、風は右斜め前、道はがたがたとなる。あえぎあえぎペダルを漕ぐ。
やがて、はじめての上り坂が現れる。ギアを落として必死に漕ぐ。100mも上ると、坂は下りになる。らくちんらくちん。このようなことを何度もくりかえす。
ときどき、動物園へ行ったときのような独特の臭いがする。見回すと、牛舎だ。
駅の道「猿仏公園」着15:24。ここで休止。ここまで55.8km 。公園発15:54。

森の中を浜頓別町のクッチャロ湖へと向かう。森では、櫛形山で見た、大きな山フキがたくさんある。シダや熊笹も多い。木はカラマツや白樺が主だ。
キャンプ場着17:30。今日の乗車距離は89.5km、平均移動速度22.5km/hr。半日で約90kmを走ったのか、よくやった、と自画自賛。
すぐに、テントを張り、売店で利用料200円を払い、「魔法の水」、つまみ、おにぎりを購入。近くのホテル「浜頓別温泉ウイング」で入浴。ここの湯は、食塩と重曹が含まれていて、弱アルカリ性のため、肌がつるつるする。安くて(500円)よい湯だ。

目の前に広がるクッチャロ湖の夕焼けをみながらベンチで食事。うーん、最高。このキャンプ場には、車やモーターバイクや自転車などの泊り客が約15名だ。相手から、すぐに話しかけられる。チャリで、どこから、どこまで、いつから、いつまで、お住まいは・・・が決まり文句だ。さすがに、爺様は何歳?とは聞いてこない。自転車は私を含めて3人だが、この後、この3名が3日間キャンプ場を同じにすることは、その時、夢にも思わなかった。
星がはっきりときれいに見える。ところが、“はっくしょん”、ゴア製の雨具を着ていても風邪を引きそうだ。おそらく、気温は10℃くらいだ。早く寝よう、20時ごろには寝入る。

【第二日目:7月15日(木)】
夕べは、若い地元のライダー達が夜中に騒いだため、今日も睡眠不足だ。しかたなく、5時ごろ起きだす。
今日は、強風だがよい天気だ。しかし寒い。あれっ、若い神戸から来たという丸石製ランドナーのあにやんは、早くも支度を始めているではないか。彼は6時には、出発してしまった。
そこら、ここら身体が痛い。体操をしてほぐす。ゆっくりと出発準備をはじめる。そのとき、千葉県市原市から来たという50代と思えしチャリダー(北海道では自転車旅行者のことをこう呼ぶ)が話しかけてくる。爺の今日の予定は、紋別まで行って、民宿泊まりだと答えると、それでは、風景を楽しんで走ることはできますまい、乗車距離が長すぎはしまいか、今日、約100km走れば温泉付きのよいキャンプ場がある、それは日の出岬だと教えられる。温泉と聞いて、爺は急遽、予定を変更して日の出岬を目指すことにする。

7:24出発。浜頓別市街のコンビニにて弁当を買い、その店先で食した後、国道238をひたすら南へ向かって進むが、強い陸からの横風を受けて、愛車はちっとも進まない。気がつくと、陸側へ70度ほどの傾きで走っているではないか。それほどの強風だ。
20kmほど走っただろうか、はじめてのトンネルがある。ここは、海側の岬へ迂回する予定だったが、トンネル内工事のため、片側通行だ。しかし、自転車は工事中の道を通れるというのだ。ラッキー、爺専用のトンネル内道路を何の心配もなく走る。トンネルを抜けると、神威(カムイ)岬公園PAだ。ここでゆっくり休憩(8:24〜9:22)。不思議なことにあれほど強かった風がここまでくると、そよ風に変わっている。

枝幸(えさし)町に入ったころ、ずうっと前の方をえっちらおっちら、走るチャリダーがいる。スピードをあげて近づくと私より1.5時間前に出発した、あの神戸のあにやんだ。暫く並走して会話する。彼は、35kgほどの荷物を積載して走っているとのことだ。たまげたね。爺は10kgの積載量でひーひー言っているのにね。彼に、お先に失礼といって、先へ急ぐ。
駅の道「マリーンアイランド岡島」でトイレ休憩。ここには、芝生のきれいなキャンプ場(無料)がある。ここで、若い女性のモーターライダーから話しかけられる。「風きつかったね」「北の方の風はどう?」「南の方の道はどんな具合?」とか、たわいのない会話だ。

さらに南下したが、腹が減ってきたので、音標の「よない食堂」で昼食にする(11:58〜13:00)。魔法の水を2杯とホタテさしみ定食の豪華版だ。大枚2100円を支払う。元気戻る。
「よない食堂」を出発して、暫く走っていたら、緩い上り坂で、後ろから、50代と思えし、レーシング姿をばっちり決めたライダーが、爺を追い越しはじめる。爺は、あわてて、あいさつをする。が、しかし、その高そうなロードレーサーに乗ったライダーは、ちらっと、爺と爺の愛車に一瞥すると何もいわずに追い越してゆく。おいおい、君は、爺を追い越して、優越感があるだろうけど、最低でも、「お先に」くらい、挨拶するのが、チャリダーの仁義だろうが。

やがて、雄武(おうむ)町に入る。コンビニを探して、今夜の夕食と魔の水900mlを購入する。日の出岬まではもう少しだ。10kmも走っただろうか、国道238から、日の出岬へ出る標識が現れる。最後の小さな坂を上り、下ればそこが日の出岬キャンプ場だ。14:50到着。今日の走りは、距離97.7km、移動速度20.3km/hr、max36.5km/hr。

さっそく、利用料400円を払って、木の下にテントを張り、トイレの手洗いで洗濯だ。木の下に張ったロープに洗濯物を干して、それから、ホテル「日の出岬」の風呂で汗を流す。この風呂からは、オホーツク海が眺められ、爽快な気分だ。湯質もよい。これで500円は安い。
そうこうしているうちに、神戸のあにやんがふらふらで到着。その後、2時間して夕闇せまるころ、市川の中高年チャリダーが若い学生チャリダーとともに到着して、あわててテント設営、夕飯の支度をはじめる。彼らは自炊なのだ。支度、ごくろうさま。

公園の突端のベンチに座り、ひとり夕食とする。ここでもオホーツク海と岬を眺めることができる。天気は激晴れ、雲ひとつない。走る最中に、いつも見る名前を知らない大きな花が雑草をかきわけ、地面からにゅっと顔を出している。気分は爽快、ホテルで調達した魔法の水2本とコンビニ食を食らう。腹減ると何食ってもうまい。 すべての日課を終了した爺は、他のチャリダーより先に早々と寝る。

【第3日目:7月16日(金)】
目を覚ますと、今日も激晴れで、風は弱い。サイクリングには絶好の日和だ。
市川の中高年チャリダーの思想に合わせて、1日当たりの走行距離は、今日も100km程度とする。そうすると、今日の宿泊は、サロマ湖畔のキムアネップ岬だなと3人の意見が一致する。一方、もうひとりの学生チャリダーは、重い荷物を積載したまま、網走までの150kmを今日のうちに走破するのだという。あーあー、若いっていいなア、と爺は少しねたむ、ひがむ。

岬を散歩後、昨日買ったコンビニ弁当をゆっくり食べ、8:16出発。例によって、神戸のあにやんは、6時ごろに出発し、市川の中高年チャリダーは、爺の後に出発。
約10km走ったところで、国道238から離れて、国道239の駅の道「おこっぺ」に立ち寄る。ここで、爺はおしっこしたいのに、浜松市から来た旅行者と立ち話するはめになる。話し好きはかなわん、と思いつつもつい、しばらく話し込む。
森やオホーツク海を見ながら、やがて紋別市入る。大きな街だ。しかし、紋別市の上り坂で爺のバイオエンジンはエンストだ。やれやれ、朝からろくなものを食べていなかったな。とりあえず、ひと休みだ。お茶とチョコレートでエネルギーを補給し、再び走り出す。
紋別市外にオホーツク飛行場があるのだが、森の中で見えない。
しかし、道の悪いことよ。自転車は、いったいどこを走ったらよいのだ。幸い、車数がそれほど多くはないので助かる。

やがて、湧別町へ入る。腹へった、どこかで食事をと思っていたら、ドライブイン「錦」を見つける。ここで、12:04から13:10までゆっくり食事。例によって、魔法の水2杯付だ。
支払いのとき、店員のおねえさんにキムアネップ岬にたどりつく前に食料店はあるかと尋ねる。計呂地(けろち)付近にあるという。これで、夕食は大丈夫だ。
食事後約15km走ると、サロマ湖が見えてくる。駅の道「愛ランド湧別」で小休止。ここまで、79.4km。あと少しで今日は終わりだ。計呂地のコンビニで夕食を購入して、目的地へ向かう。途中に、カニ、ホタテの直販所「北海水産」がみえたが、今回は調理用品を携帯していないため、パスする。

15:32キムアネップ岬に到着。移動距離100.4km、平均速度20.7km/hr、max46.0km/hr。
こんなに天気のよい日は、もう2時間、あと40キロほど走りたい衝動にかられる。疲れはないが、おケツは痛い。まだスタミナは十分だ。
テントを設営してシャワーを浴び、一休みしていたら、神戸のあにやんと市川の中高年チャリダーがつぎつぎと到着。市川のチャリダーは、北海水産でホタテを仕入れたので、神戸のあにやんに焼くよう頼んでいる。爺にもご馳走するという。そんじゃ、爺は魔法の水を調達するといって、あっち、こっち探す。むろん、この近くに酒屋やコンビニがあるはずがない。そこで、爺は、民宿を探す。あったね、民宿が。早速、おかみと交渉して、民宿で出している値段で魔法の水6本を買い取る。350mlが300円だ。まあよいかと1800円を支払い、戻る。3人の宴会が始まる。焼きたてのホタテを食す。うまい。そのうち、魔法の水は終わり、魔の水も登場する。市川のチャリダーは持参した特製魔の水を飲む。それはもしかして、・・・・・。

神戸のあにやんは、苫小牧にフェリーで上陸して、北海道の真ん中を稚内まで北上し、今はオホーツク海側を南下中だという。今日は米を2kg買ったので、いつもより体力を消耗したとのたまう。キャンプしながら4週間の予定で北海道をまわるのだそうだ。
一方、市川のチャリダーによれば、市川市の自分の賃貸アパートは、仮の住みかであって、1年の2/3は、あっち、こっちキャンプしながら旅行しているという。夏は涼しい北海道、冬は暖かいところだそうだ。これからも、北海道をゆっくり走り、8月はじめに東北へ下って、東北三大夏祭りを見るのだという。聞けば、むろん、二人とも独身だ。
爺は、考えてしまう。これまでの俺の生き方は、あれでよかったのかって。でも、この二人は、何で生計を立てているのかな。旅の途中でのアルバイトかな。将来ともこんな生活でよいのかなどなど。さすがに、この辺の事は、プライバシーの問題があり、聞かない。
この会話の中で、襟裳岬線は、工事のため、自転車通行止めとの情報を得る。どうする爺?。
こうして、話ははずみ夜は更けてゆく。

【第4日目:7月17日(土)】
朝早く目覚める。身体がだるい。そろそろ、疲れのピークかな。今日も激晴れ。体操で身体を伸ばす。神戸のあにやんと市川のチャリダーに挨拶して、7時07分に走行開始する。今日からは単独行だし、これまでの遅れた分を取り返したいが、ゆったりと走りたいとも思う。すぐに常呂(ところ)町に入り、コンビニ食の後、走り出す。道は平坦で車は少ない。風も弱い。

間もなく、オホーツク自転車道路に到着。この道は、国道238と併行しており、昔の鉄道の跡地だという。
この自転車道路は、凸凹も少ないし、車の心配をしないでよい。しかも、周りの景色はすばらしい。思わず、「ワーオ」と叫びながら快調に走る。やがて、能取湖が見えてくる。ここでは、野生のあやめをたくさん見る。櫛形山のあやめより紫が強く、数量はこっちの方がはるかに多い。ひょっとするとあやめではないのかも知れない。このほか、成熟した麦の黄土色と草原の緑色の対比が美しい。じゃが芋畑では、それぞれの種類ごとに、異なった色の花のじゅうたんだ。なんという美しい眺めだろう。爺は、感激しながら、カメラのシャッターを押す。

蒸気機関車と駅が残された卯原内の休憩所で一休みする。南下するにしたがって、気温は上昇しているようだ。今日は暑く感じる。しかし、汗は少ない。
再び走り出すと、網走湖が見えてくる。網走市街の網走川の袂で、自転車道路は終わりになる。土曜日というのに、こんな素晴らしい自転車道ですれ違ったチャリダーは、たったの5人だった。もったいないな。
爺は、ミーハー族よろしく、網走刑務所を見学する(9:48〜9:56)。ここはたくさんの人だかりだ。すると、妙齢のお嬢さん(奥様?)から話しかけられ、写真を撮ってもらう。例によって、会話のはじまりは、いつものとおりだが、その淑女は、今日は何キロ走りましたかとお聞きになる。爺は、サイクルコンピュータの数値をみて答える。えーと、48キロだね。まだ、予定の1/3だから、このあと、もう倍の距離を走らねばならないとサバをいう。その淑女は、えー、(まだ、10時前なのに)もう50kmも走ったのですか、残りのことはあまり気にされず、暑いですけど、がんばってくださいとエールを送る。爺はにっこり、お礼を返す。

網走駅に到着して記念撮影後、国道39を女満別(めまんべつ)町、美幌(びほろ)町へ向かって出発(10:20)。途中、呼人浦キャンプ場の脇を通る。ここは、計画段階では、一泊する予定だった場所だ。きれいな芝生サイトがあり、無料だ。多くのキャンパーが見える。しかし、国道の傍で騒がしいのではなかろうか。
国道39の平坦な道を快調に走る。疲れはないが、尻が痛い。これは、すでに二日目から始まっている。これまで乗っていたロードレーサーでは長時間乗っても、尻が痛いなんて経験したことはないので、原因はサドルのせいかと疑う。

美幌町に入り、昼飯にしたいが食堂は見つからない。通りがかりの女学生に食堂を尋ねる。学生は、この道を少し行けば、ラーメン屋があると答える。爺はさらにつっこむ。貴女がいう“少し”とは、1kmですか、それとも5kmですか(ここは北海道だ。“少し”の尺度は本州とちがうぞ)、と。これは、何もいじわるで、つっこんでいるのではない。相手の知りたいことに対して、いかに正確に回答するかを、あえて教育・訓練しているのつもりだ。
女学生は、少し、口ごもりながら、いや、数百mだと答える。爺はその回答にまだ不満だが、お礼を述べ、とにかく、行ってみることにする。彼女がいうラーメン店はすぐ見つかる。おや、道のむこうにも食堂があるぞ、あっちへ入ろう、と、ここでも変更する(ここまで、79.4km)。
店のトイレで顔、手を洗うが、日焼けで、おばけみたいな顔に我ながらあきれる。日焼け止めを忘れたからなア。先ほどの女学生は、この顔を怖がったのだ、悪かったなと反省。
昼食は例によって、魔法の水2杯とラーメン・チャーハンセットを注文して、しっかり食べ飲む。何しろ、バイオエネルギーは、食べ物をしっかり摂取しないと動かないのだから。
食事後、食堂のおねえさんに美幌峠入り口の道を尋ねる。しかし、わからないといって、奥からマスターを連れてくる。爺は、マスターの説明に納得して、外で出発準備を始めていると、若いおかみさんが現れ、今日は、これから天候は荒れます、実は、昨日も雷雨がありました、どうか気をつけて美幌峠を越えてくださいと名物の黒飴をいただく。このような、温かい心遣いは、一人ぼっちで走る旅人をじーんとさせる。丁寧にお礼を述べ走り出し、途中のコンビニで今夜の夕食弁当とお茶を買う。

国道243の別名美幌国道は、森に入り、だんだんと上りになる。空を見ると、おかみさんが言ったとおり、雲行きは怪しくなる。そろそろ雨具の準備をするかと思っていたら、いきなりザーッと雨が落ちてきた。あわててゴア製雨具を着る。バッグ類にも雨具をかぶせるがシューズカバーはとても間に合わない。そのうち、雷が鳴り出す。あたり一面暗くなり、バケツをひっくりかえしたような雨となる。爺は自転車から離れ、雷雨の中に座り込む。周りに雨宿りするような場所は何もない。稲光はあっちこっちで光り、近くに落雷する。
しかし、1時間と少し経過すると雨は小降りになる。さあ、再出発だと走り出す。上りの傾斜はだんだんきつくなるが、GPSの高度計をみて、あと少し、あと少しと自分自身に言い聞かせながら、ペダルを踏み込む。高度計は、300m、400mと確実に上昇してゆく。やったア、ついに美幌峠の道の駅に到着。高度計は490mを示した。ここでひと休みだ。駅の裏にまわって、高台を歩く。眼下に、屈斜路湖の見事な展望が開ける。ここで写真撮影。周りは老若男女でいっぱいだ。
発進しようとしたら、中年のモーターライダーが爺に話しかける。ここから屈斜路湖までの道は悪いから気をつけてよ、と。爺は、国道243を湖へと下って、あまりの道路のひどさに驚き、憤慨する。この道は、国道で、しかも観光地でしょう、もっと何とかならないの。

17:05和琴半島湖畔キャンプ場到着。今日の移動距離123.7km、移動平均速度19.1、max37.0。峠越えがあったわりには、よくがんばって走った。しかし、キャンパーの多いこと多いこと。ここでキャンプすることを選択したのは失敗だったかな。でも、コインランドリーがあるし・・・・。売店で利用料400円を払い、魔法の水とつまみを買い、洗濯をする。飯を食ってから2〜300mほど離れた無料の露天風呂へ行く。地元の爺婆と酔った観光客が入っていたが、地元のお婆さんは、この湯につかると身体は冷えないとおっしゃる。露天風呂と湖はつながっていて、湖側の温度は低い。しかし、風呂の底は砂地で、ぬるぬるして気持ち悪い。このぬるぬるは、細菌類が合成するバイオフィルムではないのかと疑いたくなる。

思っていたとおり、若者は夜中まで騒ぐし、夜中の2時頃には、再び、雷雨だ。ちっとも寝られたものではない。しかし、テント内に雨水のしみ込みはない。このテントを買うときには、どえりゃあ高価だなと思ったが、軽さと品質には満足だ。

【第5日目:7月18日(日)】
もう少し、寝ていたいのに他のキャンパーが騒ぎ出す。爺はしぶしぶ起きだす。おっ、天気は回復するなと直感する。湖を散歩して、写真を撮ったりした後、7:08に出発。別海町をめざし、今朝の雨でぬれた国道243を走る。最初は快調だが、そのうち、どうもエンジン出力が弱い。途中のコンビニで朝食をとる。ラッキーなことに店内で食することができる。そのとき、徒歩で北海道を旅行しているおじさんに会う。聞けば、大阪からきたという。昨夜は森の中で野宿したが、大雨でたいへんだったとおっしゃる。森で野宿とは、たまげるね。一寸、非常識ではないの、まだ、雨の方が熊でなくてよかったのでは、と思う。

めし食ったのに、やはりエンジンの調子は今いちだ。よく調べてみると、いまだに道は上っているのだ。てっきり、海抜121mの屈斜路湖からは、すべて下りと勘違いしていたのだ。
紅別を過ぎたあたりから、完全な下り道路だ。しかも、弱い追い風。今日は日曜日で大型車は少ないはず。このような条件では、ハイスピード走法だ。別名パイロット国道の243を別海の三叉路まで、車道をとばしにとばす。遠く、大草原をのんびりと牛が草をかむ。
別海三叉路着11:35、これまで78.7km。少し、早いが、距離を稼いだので昼食にする。こじんまりした「いちの」に入って、例のごとく、魔法の水2杯とてんぷら定食。ついでに携帯電話の充電のため、コンセントを借用する。

昼食後、別海三叉路から厚床(あっとこ)駅をめざして南下する。すると、ひとりの若者がMTB(マウンテンバイク)にかなりの荷物を積載して走っているので、しばし、並走して話し込む。例のごとく、どこから、どこまで、いつから、いつまで、お住まいは、が決まり文句だ。なんと、彼は、伊豆に住んでいるという。爺は三島市だと答えると、もしかしてOO渇社の方ですかと尋ねるではないか。爺は驚くが、すぐに謎が解けた。実は、彼もOO渇社に在籍したことがあり、爺の着ているロゴ入りTシャツで分かったらしい。彼は、自分の精神的弱さを是正するために、ひとりで北海道をツーリングしているのだという。がんばってとエールを送り、飛ばしや爺は再び快調に走り出す。

厚床駅着13:47、ここまで103.3km、平均速度22.2km/hr。いいペースだ。駅で記念撮影し、国道44で根室駅をめざす。途中の道の駅「スワン44ねむろ」で小休止。ここからは風連湖の眺めがよい。記念撮影して、駅に設置されたパソコンで来週の天気を調べる。月、火が曇りであとは晴れだ。ラッキーと叫び、根室へ向けて再発進。
温根沼にかかった橋があまりにも立派なため、記念撮影。根室に近づくにつれ、急坂が増えたような気がする。疲れのせいか。やっと、16:12に根室駅にたどり着く。ここで記念撮影。今日の走りは、136.5km、21.7km/hr、max44.0km/hr。いいペースだ。

すぐに、ビジネスホテルを探す。今日は日曜日だから空いているはずだ。駅から約300mにあるビジネスHねむろに駆け込む。案の定、ガラガラだ。大枚5500円を前払いして、汚れた自転車を水道水で洗い、部屋に入る。すぐに風呂だ。ついでに風呂場で洗濯をする。
うまいものでも食いに行くかと思い、ホテル管理人のお婆さんに場所を聞くが、よく知らないのであきらめる。ええい、今日もコンビニ食だと、すぐ近くのコンビニで、郷土料理らしき食品と魔法の水を調達し、ホテルのTV桟敷席で相撲を観ながら食する。
疲れがでたらしく、いつの間にかTVをつけっぱなしで寝ていた。夜中にあわてて消す。

【第6日目:7月19日(月)】
すっきりと4時ごろ目覚める。身体は少々だるい。指が痛い。これは、ブレーキのかけすぎかな。顔はひりひり。鼻の頭は一皮むけたようだ。すぐ、柔軟体操を行う。
昨日のコンビニで、朝食を購入し、7:10、納沙布岬をめざして時計回りのコースで走り出す。この方が車数は少ないとふんだからだ。予想は大当たり、比較的良質な爺専用道路の道道35を軽快にとばす。景色も天気も最高。思わず、ワーオだ。 大きな発電風車の羽は回っていない、風は弱い。温度も湿度も低くて心地よい。ときどき、能取湖で見たあの紫色のあやめや、白、黄の草花を見かける。ここにも群生しているのだ。
途中、原生花園に立ち寄ったが、朝早いせいか、開門していない。放牧された馬と花園の写真を撮り、出発。このころから、海のかなたに国後島や歯舞諸島が見えてくる。これらは、目と鼻の先の距離だ。

納沙布岬着8:13、ここまで23.3km。納沙布は、日本最東端の地、政治的スローガンの看板、カニと昆布の入り混じった異様な臭気、及び風景にそぐわない非常に高い塔が立っている小さな漁村だ。この変な高い塔は、何とかならないの、と思う。何の目的で建っているのだろう。
朝飯を食べ、ゆっくり休憩。

昨日から自転車のチェーンが油切れで異音がする。しかし、アホ爺は潤滑油を忘れてきた。さて、どうする。 爺は、さんまの缶詰から、オイル分を取出し、塗ることにする。EPAやDHAも入っているのだから、バイオエンジンにはよかろうと、ひとり、ジョークをとばす。これは、効果ありだ。異音は消え、スムースになる。しかし、缶詰には食塩もあり、チェーンの腐食が心配だ。
おっと、ブレーキシューもだいぶ磨り減ってきたぞ。雨の日の下り坂が効いたのかな。代え時だが、これも予備品なしだ、今後はブレーキを控えることにしよう。

9:15納沙布岬を出発し、次の標的地東根室駅に向かう。なぜ、東根室駅かって、それは、この駅が日本最東端に位置する駅だからだ。
走り出すと、家族総出で昆布を日干しにしているのが、やたらと目に入る。この地区は、昆布業で生計を立てているのだ。それにしても、すごい量の昆布だ。
東根室駅は、通りからだらだらと少し降りたところにある無人駅だ(10:18着)。爺意外誰もいないが、ここで記念撮影し、次の標的地の霧多布岬をめざして発進し、道道142を南西へと進む。
途中、浜松海岸PAでトイレタイム休憩。ここからの眺めはすばらしい。なだらかな草原のむこうに、おだやかな海とユルリ島が見える。しかし、旅行者は爺ひとり。もったいないが、この景色ひとりじめだ。

「落石」の部落を過ぎたあたりから、道は森へ入る。おっと、上り坂だ、約100m上って今度は下りだ。直線ではブレーキをかけずにとばしまくる。坂を降りると、すぐに次の坂だ。こうした同じことを何回も繰り返すうちに、爺のスタミナはだんだん消耗されてゆく。
疲れと腹へってきたが、うっかり爺は、根室で食料を買うのを忘れた。飲み水はある。あんりゃ、ここは60km走っても、店ひとつない所なのだ。どうする、爺。爺は、持ち合わせのチョコレートとポカリスエットで飢えをしのぎ、ただ、もくもくとペダルを踏む。
ムツゴロウの動物王国OOkmの看板を横目で見て、少し進むとやっと山坂から開放される。そこは、「なぎさのドライブウエー」と命名された、海に沿った平坦な道だ。ここで爺は店を発見するものの、パンやインスタント類のみしか置いていない小さな食料店だ。仕方なくパンとアイスクリームを買い、少し、進んで誰もいない道端にすわって食べる。道の向こう側(陸地側)を見ると、そこには、例の紫色のあやめをはじめ、いろいろな花が咲き乱れているではないか。そうだ、ここは霧多布湿原の入り口なのだと気が付く。

やっと霧多布岬へ曲がる三叉路までやってきた。厚岸(あっけし)へ行く方をみるとコンビニがある。早速、夕食を手配する。魔の水180ml*2も忘れない。支払いのとき、この辺に食堂があるかとレジのおねえさんに尋ねる。少し、下ったところにあるという。早速、その食堂を目指す。
約100m下ったところにドライブイン風の食堂があった(15:40〜16:30)。メニューを見る。そうか、ここは厚岸に近いので牡蠣料理があるのだなと気づく。よし、ここは牡蠣だ。牡蠣の酒蒸しだ、6枚入っていて、1050円か、適切な値段だ。もちろん、いつものとおり、魔法の水2杯付きだ。出てきた牡蠣の酒蒸しにレモン汁をかけて、一口で食する。うまい。こんなうまい物を食ったのは、キムアネップ岬で食したホタテ以来だ。爺は地獄から天国へ戻る。

霧多布岬への坂を上り、本通りから横道に少し入ると展望台がある。ここも、なかなかの眺めだ。ここで記念撮影。ここでは、夕食をカラスにあやうく取られそうになる。
無料のキャンプ場に入り、受付を済ませて、すぐテントを設営する。今日の走りは、120.6km、移動速度19.9、max48.5。やはり、坂だと走行効率は落ちる。
ここでのキャンパーは、モーターライダーとチャリダーがほとんどだ。合計、10名ほどが、思い思いの場所にテントを張っている。チャリダーのひとりは外人だ。
風呂は、約2km離れた町営の温泉だ。500円と安く、湯質もよい。ここで、魔法の水を2本調達して、キャンプ場に帰り、早速、海を眺めながら食事だ。すると、一羽のカモメが芝生を歩いて来る。爺の傍1mにまで近づいて、爺の食事をじっと見つめている。どうも、食べ物が欲しいらしい。悪いと知りつつも、ヤキトリをあげる。カモメは(喜んで)素早く食する。爺がこれ以上、食物をやらないと見抜いたカモメは、他の人の所へヨタヨタと歩いて行く。

外人のチャリダーは仏人だそうだ。お互い、片言の英語と日本語でコミュニケーションを図る。彼は、世界中をチャリで旅して回っているのだという。キャノンデールの特別仕様ランドナーに、リアサイドとフロントに大きめのバッグを装着している。彼は、爺の装備の少なさに関心を持った様子で、車体重量や銘柄やテント重量、一日当たりの走行距離などを聞く。 爺は、疑問に思う。いったい、彼は何で生計を立てているのかなって。ひょっとして、巨額な遺産があったりして・・・・・。

【第7日目:7月20日(火)】
例のごとく、朝早く目が覚める。テントから外を覗くと、明るいのに何も見えない。霧なのだ。霧多布岬というくらいだから、霧が多いのだとひとり合点する。数日前の天気予報では、今日は曇りのはずだ、日が昇れば、霧も晴れるだろうと、もくろむ。仏人は、早くも出発した。もうひとり、若いチャリダーは、今日は根室へ向かうという。爺は、昨日の経験から、65km先にしか食べ物店はないので、霧多布で食料を調達しておくよう、彼に助言する。

爺は相変わらず、モタモタしながら準備完了し、7:25に厚岸へ向け出発。しかし、霧のため何も見えない。ここは、湿原の中にいろいろな植物が咲いていて楽しみにしていたのに。
霧の中にぼうっと、例の紫のあやめが見えるが、気分は盛り上がらず、走る気力が涌かない。そのうちに、霧が雨に変わる。あわてて、雨具の支度をする。ますます、気が重くなる。多くの坂を上り、下りを繰り返すうちに、すっかり、やる気を失う。
厚岸大橋を渡り、国道44にでると、高台に道の駅「厚岸グルメパーク」がある。とりあえず、ここで休憩だ(10:22)。ここまで、42.5km、17.2km/hr、max38.5。さあ、これからどうする、爺悩む。今日は、これからさらに、国道44を釧路まで走り、阿寒自転車道路を丹頂の里まで走る予定だ、あと、90kmは残っている。しかし、この天候ではやる気がでない。1時間も座って熟考する。よし、今日はこれで終わりにしよう、厚岸泊まりだと決断する。まず、昼飯だ。ここは、やはり、好物の牡蠣料理だ。そうだ、厚岸駅前に安くて美味しい牡蠣食堂があるはずだ、そこへ行こう。爺はなぜか元気一杯、小雨の中を厚岸駅目指して走り出す。

しかし、ついていない時はこんなもんだ、お目当ての牡蠣食堂は、火曜日が定休日だ。残念無念。爺は気を取り直して、牡蠣が食べられる店を探す。おっ、豪華な構えの店があったぞ。牡蠣はどうじゃ、あるではないか、ここにしょう。中へ入る。カウンターに座って牡蠣の5点セットと魔法の水を注文する。うまい。ここは天国じゃ、爺の脳内ホルモン、βエンドルフィンの分泌量は異常に増える。
マスターと会話する。ここ厚岸付近では、20℃を越すと、「暑い日」というのそうだ。やっぱり、北海道やなア、と変に感心する。

飯を食って、さて、この厚岸には、キャンプ場があったはずだ。地図で探す。「筑紫恋」キャンプ場だ。ここに泊まろう。小雨の中を再度、厚岸大橋を渡り、標識を見ながら、キャンプ場を探す。途中のコンビニの場所もしっかり、チェックしておく。
キャンプ場でテント設営(利用料は無料)、コインランドリーで洗濯/乾燥、シャワーを浴び、コンビニまで走り、調達した魔法の水やつまみやおにぎりを食して爆睡。今日の泊り客は、チャリダーの爺とモーターライダーの3人のみ。ときどき、小雨がぱらつく。

【第8日目:7月21日(水)】
例によって、朝早く目を覚ます。天気はなんとかもちそうだ。早速支度にかかる。6:41出発。
途中、コンビニで朝食を買う。
3回目の厚岸大橋を渡って、国道44にでる。道の駅の前にある小さな公園で朝食だ。

国道44は大型車が多いものの、数はそれほどでもない。アップダウンがあるものの、それほどきつくはない。快調に走り、釧路駅を目指す。天気は完全に回復した。暑いくらいだ。
途中の別保メモリアルパークで休憩(09:36〜09:57)。この公園もすばらしい。森の中に広い芝生がたくさんあり、年配の方々は、グランドゴルフのようなものに興じている。
釧路駅着10:34、ここまで、56.1km、20.2km/hr、max46.5km/hr。駅前で記念撮影。近づいてきた地元のおじさんに我が旅姿を撮ってもらう。このおじさんは、まだ午前中なのに酒臭い。おっ、このおじさんは、いい身分だな・・・・・そういう、爺自身も。

釧路駅発10:50。阿寒自転車道路を目指して、街中を進むが、どうも、雲行きが怪しくなる。これは雨だなと直感し、雨宿りの場所を探す。運良くイトーヨーカドー前の広い屋根付きバス停を見つけて自転車ごと入る。案の定、強烈な雨と雷だ。数日前の美幌峠と同じだ、1時間したら、あがるなと読む。それまで、ここで待つことにする。バスを待つ地元の人に尋ねても、今日の天気予報は、晴れだとおっしゃる。見渡しても、誰も傘は持っていない。中には、あわてて、安物のビニール傘を買う人さえいる。
読みどおり、12:30頃、小降りになる。早速、雨具を着て、阿寒自転車道を目指す。その前に昼飯だ。「ラーメンと寿司」と書かれた変な取り合わせの看板を見つけて入る。いつものとおり、魔法の水2杯と餃子とラーメン定食だ。なるほど、にぎり寿司つきラーメンがきた。こんなのはじめてだが、これも又よし。

阿寒自動車道路はすぐに分かった。しかし、ここを走り始めると、路面の凹凸と約10mごとのアソファルトの切れ目が、爺の尻をさいなむ。阿寒自転車道は、あかんと野暮な駄洒落をつぶやきながら走る。天気は回復したのに、爺以外にこの自転車専用道路を走る者はいない。
道の右側は、有名な釧路湿原だが、景観は単調でオホーツク自転車道ほどの面白みはない。
自転車道路の途中から外れ、野生動物保護センターと湿原展望台までの坂道を上る。前者の主管は環境庁であって、大きな、立派な建物だが、野生動物は見ることができず、あとは、ほとんど見るべきものはない。にもかかわらず、立派すぎる建物の外観。見学者は爺ひとり。
後者は、お金を取る展望台であって、これもすばらしい建物だ。いったいぜんたい、展望台にこれほどまで立派な建物が必要かいなと、爺は再び憤りを感じる。日本の台所は火の車なのに、無駄な投資が多いのではないか。そのツケは全部国民負担なのだ。 結局、展望台の中には入らず、庭から釧路湿原を見渡す。しかし、あまり、感じるものはない。
元の阿寒自転車道に戻り、丹頂の里を目指す。しかし、この道にがまんできなくなり、途中から、地方道・道道から国道240へ抜ける。

コンビニを見つけて中へ入ろうとしたところ、地元の高校生(陸上部員)3人と交流。彼らは、爺のサイクル旅姿をみて、是非、自分たちも、爺と同じような旅を実現したいと言う。彼らは、爺の自転車はいくらしたかと尋ねる。これは安物だ、10万円ほどだと答えると、うひゃー高いと吼える。爺は、お父さんに買ってもらいなさいと罪なことを言って、ついでに、サイクルコンピュータやGPSを見せ、説明して別れる。

丹頂の里への最後の数キロは、緩い上り坂と向かい風が、疲れた爺を苦しめる。16:30キャンプ場到着、今日の走りは、100.7km、18.9km/hr、max46.5km/hr。
利用料730円(高い!)を払って、全面芝生のサイトにテントを設営する。今日のキャンパーは爺と、もう1組の家族3人様だけだ。人気がないのは、利用料が高すぎるからか。
愛車を洗い、風呂に入りに、すぐ隣にある町営「赤いベレー」に行く。安くて(500円)、人も少なく、いい湯だ。大広間の休憩所もある。しばし、TVニュースやサッカーを観戦する。しかし、腹減ったし、疲れたので、いつものパターンで食事後、爆睡。

【第9日目:7月22日(木)】
今日は朝から快晴だ。丹頂の里をひとまわりして、身支度後、7:40キャンプ場を出発。国道240を、釧路方面へ向い、途中のコンビニの隅っこで、朝飯を食らう。
国道240を通る車は少ないので、車道をかなりとばす。途中、釧路空港から国道38への抜け道があり、道道65へ入る。釧路空港への道はかなり急な上り坂だ。ペダルに力が入る。GPSでの測定値は、海抜150mを示す。釧路空港を過ぎると、緩やかな直線の下り坂だ。車はほとんど通らない。爺は年相応にここをぶっとばす。ふと、周りを見ると、白や黄色の野花が咲き乱れているではないか。この道は隠れたよいサイクリング道路だ。

国道38へ入り、浦幌(うらほろ)/帯広(おびひろ)方面へ向かう。この道路は最悪だ。チャリダーのための道は貧弱で、大型車はぶんぶんで、しかもマナーは最低ときた。爺様は注意深く進むが、神経が疲れる。しかも、GPSを保持しているマウントがポキっと折れる。あーあー、これで旅の面白さは半減だ。
心身とも疲れたので早いが飯にする(10:40)。馬主来沼近くの「かにのミフネ」に入り、いつものとおり、魔法の水2杯とカニ入りラーメンを注文。もうこの国道は走りたくないが、他に道なしだ。しかたがない、ゆっくり走ろうと決める。

11:48出発。音別町に入ると山の中の上り坂だ。後ろを振り返って大型車がいないことを確認しながら狭い道を走る。ここには、3つのトンネルが持っているはずだ。第一トンネルは、まともな歩道さえない。爺は3つのフラッシュライトを点滅して、自転車を手で押して通る。第二は、片側通行だ。ここは、フルスピードで駆け抜ける。第三は、比較的広い車道だ。後ろに注意して駆け抜ける。ここからは、下りとなる。

注意深く浦幌町へ降りる。今日は、ここでキャンプすることに夕べ決めた。国道38から浦幌市街へと進み、コンビニで夕食を調達し、町営森林公園をめざす。この公園もすばらしい。野球場や芝生のサッカー場、グランドゴルフ場、キャンプ場などいたりつくせりだ。早速、受付で500円払って設営(14:20、今日の走り:80.8km、18.8km/hr、46.5km/hr)。風呂は、すぐ近くに町営の銭湯があるので、300円を払って入る。ここは温泉ではないようだ。
この後、街へ魔法の水を買いに行く。この後はいつものパターンだ。

【第10日目:7月23日(金)】
今日は、帯広まで走り、輪行して千歳へ出て、千歳の市営キャンプ場で2泊の予定だ。いつものとおり身支度し、コンビニの広場の隅で朝食だ。8;15出発。帯広までは、できるだけ裏道を行きたい。
悪の国道38を暫く走っていたら、徒歩のおじさんがいる。爺は、徒歩で旅行ですか、がんばってくださいとエールを送る。そして、豊頃を過ぎた地点で地方道882に入る。この選択は正解だった。車はほとんど通らない。道質も悪くはない。景色はいつもの大草原とじゃが芋畑だ。爺は、納沙布岬行き以来の「ワーオ」がでたね。地方道882を20kmほど走ると、国道242を経由して、十勝川に架かる千代田大橋に着く。ここで、小休止(9:55、35.7km、22.9km/hr、max35.5km/hr)。

国道242の先は、悪の国道38だ。この国道は走りたくない。爺様は、ツーリングマップルを広げて、地方道を調べる。幕別からは地方道をJRに沿って走り、札内からは道道151を経由する。とうとう、札内川に架かる青柳大橋を渡る。この橋も美しい。ここでも記念写真を撮る。橋の上から対岸を眺めると、ここも芝生の公園になっていて、子供たちが元気に遊んでいる。川は透明できれいだ。ここから、帯広駅までは、数キロだ。帯広市街をゆっくり走る。

帯広駅到着11:17、56.4km、21.9km/hr、max36.0km/hr。帯広駅は超モダーンな設計だ。早速、記念撮影後、自転車置き場に愛車を預け(無料)、駅でJRの発車時刻を調べる。12:52発札幌行き「スーパーあおぞら6号」がある。輪行準備の時間を考慮しても、楽勝だ。千歳までの指定席チケットを購入し、愛車をばらして、輪行モードにする。
しかし、暑い。人々の会話で、今日の帯広の最高気温は33℃にも達することを聞く。北海道でも場所によって、ずいぶん気温が違うものだ。
予定の時刻に、「Sあおぞら6号」に乗車する。問題は、この大きな輪行バッグを何処に置くかだ。しかし、ラッキーなことに、列車のデッキに大型荷物置き場が設置してあるではないか。早速、輪行バッグをそこに固定して、自分の座席に座る。
ここのJR本線は、電化されておらず、ジーゼル車だ。列車は、大草原、川、山岳地帯をぬって進んで行く。速い。爺の愛車から比べると何倍のスピードだろう。
腹減ったなと思っていたら、タイミングよく車内販売が来る。「いわしのかくし寿し」なるものを買う。もちろん、魔法の水2本も忘れることはない。うまい。

乗車後、2時間もすると、南千歳に到着。ここで降りて普通車に乗り換え、千歳で下車する。爺は再び、愛車を組み立て、今日の泊まり地の青葉公園キャンプ場を目指して走りはじめる。しかし、行けども、行けども、それらしき公園は現れてこない。通りがかりのおじさんに尋ねる。おまえさん、位置が反対だよ、青葉公園は、駅の向こう側だ、と笑われる。爺は再び、今来た道を駅まで引き返して、駅のむこうをさらに進む。やがて、それらしき森が現れる。しかし、どこから公園へ入るものか、さっぱり分からない。また、通りがかりのおばさんに尋ねる。こうして、何とか公園の中に入る。
この公園もまた、すばらしい。広い森の中に、芝生のサッカー場、ラグビー場、野球場、陸上競技場、多目的広場、テニスコート、キャンプ場、図書館などが点在している。爺の住んでいる都市から比べると、うらやましいかぎりだ。

16:40頃キャンプ場に到着。2日間の宿泊を申し込む(無料)。ここは、サッカーコートが一面とれそうな芝生広場の周りに、林の中に点々とキャンプサイトがある。しかし、サイトは土だ。
今日のキャンパーは爺ひとりなのに、5,6人のボランティアと思えし、おじさん達がキャンプの準備をしている。尋ねると、明日から8/1まで、市内小学生を対称としたキャンプ学習を行うために準備中だという。
彼らは、爺の旅姿を見て、いつもの決まり文句で話しかけてくる。明日、爺は、支笏湖に上ると言うと、あそこは熊がでるから気をつけろと注意される。爺はビビる。しかし、熊はめったにみないが、鹿はたくさんいて、この公園内にも生息しているとおっしゃる。ホンマかよ。鹿がいれば、それを食らう熊だっているのではないの、と疑いたくなる。
テント設営後はいつものパターンだ。

【第11日目:7月24日(土)】
毎日、早い時刻に寝るため、必然的に早く目が覚める。今日も4時には覚醒したが、やはり身体は少々だるい。仕方なく起き出し、まず、人がいないうちに、トイレで洗濯をする。洗濯物は、テントや木と木に張ったゴムひもにかけて干す。
今日は、支笏湖へポタリング(チャリでお散歩)の予定だが、朝早くは熊がでるというので、できるだけ遅い時間に出かけることにする。まず、朝食だ。約2km離れたコンビニへ朝と昼の食料を買い出しにゆく。
キャンプ場に戻り、朝食を食べていると、管理棟に人が集まり始め、今日から行う子供たちのキャンプ準備を始めている。女性は食器類を、男性はキャンプファイヤーや看板掛けだ。

働かない爺が長居しては悪いと思い、出発する(11:00)。ほとんどの荷物は置いて行くので、今日はらくちんだ。青葉公園すぐ近くの支笏湖公園自転車道から湖をめざす。この自転車道は、千歳川に沿っている。千歳川は水量多くきれいな川だ。あちら、こちら釣り人やデイキャンパーを見かける。天気はうす曇で風は弱い。気持ちよく進むが、道の品質は今イチだ。ちいさな凹凸により車体が振動する。
数キロ進むと突然、自転車道がなくなる。ここは、道道16を走れということか、と判断し16を走る。やはり、道道16の方が道は滑らかだ。16を5kmほど走ると、自転車通行帯がなくなる。オイオイ、爺はどこを走ればよいの、と、ふと右側をみると自転車道があるではないか。爺は愛車を持ち上げ、自転車道へ運ぶ。この辺の自転車道の質は、スタート時よりずっとよい。
爺は、森の中の緩い上り坂をゆったりと走る。この道は全長23kmほどだから、ゆっくり上っても、1時間と少しで到着だなと計算する。案内板には、行程は確か3.5時間と表示されていたようだが。不思議だな、あの表示は、ひょっとすると小学低学年の走力かいな。

自転車道が終わり、国道453を札幌側へ3kmほど行き、坂を下ると、支笏湖畔だ。爺は記念写真を撮り、ベンチに腰掛けて湖面を眺めながら昼食をとる。今日は、魔法の水はなしだ。
標高1320mの恵庭岳は雲の中にあり、顔を出さない。1103mの風不死岳はぼうっと見える。
湖畔は、白鳥の形をしたボートや観光船などがあり、雰囲気は箱根芦ノ湖に似ている。しかし、芦ノ湖ほどは俗化されていないし、観光客もずっと少ない。みやげ物を売る店も見かけない。湖の面積は芦ノ湖よりはるかに大きい。爽快は気分だ。来てよかった。
爺は、バッグからおもむろにGPSを取出す。このGPSを自転車に固定するマウントが破損して以来、旅の面白さは半減したし、方向オンチの爺はずいぶんと苦労した。
GPSの高度を読む。256mと表示された。支笏湖の湖面は248mだから、それに陸地分を足すと、高度計の精度は悪くないな、と爺はひとり満足する。
この湖の周囲を一周してみたいが、先ほど走った道路状態をみて止めにする。チャリダーが安心して走れるように整備されていないのだ。
芸がないが、同じ道を千歳へ引き返すことにする。帰りは緩やかな下りで、車の心配はない。今日は10kgの荷物も積載していない、さあ、ぶっとばすぞ、とスピード狂の爺は、年相応の走りで、自転車道を下って行く。

キャンプ場に帰ると、子供たちのキャンプ準備はすっかり終わり、子供たちの楽しげな会話が聞こえてくる。近頃、爺の近所では、子供がいなくなったので、子供の声を聞くと懐かしく、嬉しくなる。
そのとき、爺と同世代の一組のご夫婦とひとりの男性が、爺に話しかけてくる。会話のはじまりは、いつものとおり、チャリダーですか、どこから・・・のパターンだ。爺はよそ者であり、このキャンプサイトを2日も無料で借りているのが少し気が引けたので、丁重に返答する。ついでに、この青葉公園のすばらしさをマジで褒める。会話はなごみ、盛り上がる。そして、それまで、にこにこして黙って聞いておられた奥様の次の一言でお開きになる。「私、感動しました」。やれやれ、こんなことで感動してもらっても、と思うが、何だか嬉しくなる。

爺の周りのテントサイトも、一般の人達数家族が設営をして、なにやら、夕食の支度をはじめる。どれ、爺も夕食にするかと、中央のベンチで皆さんより先に食べ始める。もちろん、魔法の水もいっしょだ。キャンプへ来た父親は、日頃は、ほとんどやらない家庭サービスを、今日は、ここぞとばかり、懸命に行っているようにみえる。爺は、それらをそれとなく観察しながら、お先に失礼と心で唱え、魔法の水を喉に流し込む。うまー。(性悪爺め!)。

今日は、キャンプファイヤーが見られるぞ、と思っていたが、疲れと魔法の水と魔の水が効きすぎたのか、いつの間にか爆睡していた。気がついた時には、すでに下火だった。
今日の走り、62.6km、max40.0

【第12日目:7月25日(日)】
今日は、帰る日だ。フライトの10;30までには、少し時間があるので、千歳の市街をポタリングしょう。7:20、すべてを完了して、「インディアン水車」をめざす。ここで、アホ爺は、重大なミスに気がつく。しまった、ITからダウンロードした千歳市の地図を破り捨てたゾ。

山勘で走るが、それらしきものは見えてこない。暫く走ると、朝のウォーキングと思えし、爺と同世代のおじさんに気づき、並行しながら行き先を尋ねる。そのおじさんは、爺の異様な旅姿にすごく関心を持たれ、しばし立ち話となる。会話のはじめは、いつものパターンだ。そのうち、難しい事をお聞きになる。「あなたが、チャリで北海道旅行をする、その動機と目的は何ですか」。爺は、しどろ、もどろ、心の内を明かす。すると、「ふーむ、新聞やTVで、定年後にチャリで北海道や日本を一周する人がいるとは聞いていたが、本当にいるのですね」。

爺は、ウォーキングおじさんから教えられた方向に向かって走る。千歳川が見えてきた。この川にインディアン水車は架かっているというのだ。再度、通りがかりの女学生に尋ねる。この土手を川下へ少し下り、橋を渡ればすぐだという。案内板も立っている。爺は自転車を押して、幅が3mほどの小さなインディアン橋を渡りはじめる。川幅は40mほどだ。ここに目的物が存在するのは確かだ。しかし、目的の水車は見えない。
じっと、水面を見つめると、鉄製で赤に着色した、直径1mほどの水車らしきものを確認する。橋の上で、水面を眺めている、おじさんがいたので、爺は尋ねる。あれがインディアン水車ですか。そうだとおっしゃる。ゲーっ、なんじゃーこりゃーだ。爺は、てっきり、大きな3連とか5連の木製水車が架かっているものと信じ込んでいたのだ。
水面を眺めていたおじさんは、爺の心を読んだのか、いろいろ説明してくださる。この千歳川にもサケは遡上するが、このインディアン橋より上流には行けない。それは、ここで堰止めして、遡上しようとするサケをあのインディアン水車で一網打尽に捕獲するのだそうだ。川のむこうの建物は、サケ監視員の宿舎であり、右手の大きな建物は水族館であって、千歳川を遡上するサケを横からガラス越しに見ることが可能だというのだ。よく見ると、確かに、水車のまわりは、広い板張りの広場があり、ここは、サケを捕獲するための作業場のようだ。
爺は、9月に再度、北海道を訪れ、千歳にも寄るつもりだと告げると、おじさんは、サケの遡上をみるのであれば、あそこの土手がよいと、その理由を説明して指差す。9月になれば、ここらあたりでも紅葉がはじまり、きれいだそうだ。

爺は、丁重にお礼を述べて、千歳駅へと向かう。ここから、輪行して新千歳空港〜羽田〜新幹線で帰るのだ。
爺は、大きな荷物を抱えて、いくつもの関門を次々とクリアしてゆく。新千歳空港で、ANAの手荷物取扱担当者は、「(もっと小さく)自転車は折りたためますよね」と不満気にのたまう。爺は少しもあわてず、「これが折りたたんだ姿ですよ(文句あっか)」と返す。
予定通り、ANAボーイング747は、10:30に羽田へ向かって飛び立つ。窓から下界を眺めると、千歳周辺の広々とした草原や丘や畑が見える。

また、来るからな、待っていてよ、楽しかった北海道よ。

     9月の旅にご期待を!